わずか16名の少女たちから始まった劇団が、100周年を迎えた奇跡……。
様々な困難に遭いながらも新しいものを求め、今に繋いだ軌跡……。
そこにいつもあったたくさんの輝石……。
宝塚歌劇団100年へのキセキのひとコマをご紹介いたします。
――Part2「タカラジェンヌの意外な誕生秘話」――

■宝塚歌劇団100年へのキセキ
Part1「小林一三が目を付けた宝塚村」
Part2「タカラジェンヌの意外な誕生秘話」
Part3「宝塚歌劇 第一回公演はお伽噺」
Part4「宝塚音楽学校の移り変わり」
Part5「宝塚大劇場の変遷」
Part6「東京宝塚劇場の変遷」
Part7「『モン・パリ』~レビューの誕生」
Part8「『パリゼット』~レビュー黄金時代」
Part9「海外公演~世界へ羽ばたくタカラヅカ」
Part10「宝塚歌劇団 戦争からの復活」
Part11「宝塚歌劇団の大運動会」
Part12「『虞美人』~小林一三翁逝く」
Part13「『華麗なる千拍子』~芸術祭賞」


誤算が生んだアイデア

小林一三翁は、阪急電鉄の前身である箕面有馬電気軌道を1907年(明治40年)に開業し、1910年(明治43年)に宝塚本線を開通させます。
そして、その集客力を伸ばすため、翌1911年(明治44年)、「宝塚新温泉」が建設されました。場所は、宝塚駅からほど近い、現在の宝塚バウホールのある辺り。大理石の大浴場もある豪華な娯楽施設でした。

1912年(明治45年)には宝塚新温泉の横に西洋風の建物「パラダイス」を建設します。そこには、日本で初めての室内プールがありました。
しかし、“温水設備がなく使える時期が短い”“男女がいっしょに泳ぐことを禁じられた”などの理由により、プールとしての利用が困難でした。

この空いたスペースをどうにか利用できないものか……?
小林一三翁は考えた挙句、なんとここを劇場に変えてしまったのです。
室内プールの脱衣場を舞台に、プールの部分を客席に変え、キャパ500名の小さな劇場が出来上がりました。


ヒントは百貨店から

その劇場で何をするか……? 「日本で初めての○○」を生み出すアイデアの天才、小林一三翁ですが、意外にも真似から始まりました。

明治の終わり頃、呉服店から百貨店の姿へと移り変わった店の中には、お客さんの呼び込みのため、少年による音楽隊が結成され人気を博していました。
東京の三越呉服店、名古屋のいとう呉服店(現・松坂屋)、京都の大丸呉服店、大阪の三越呉服店……。
白木屋呉服店(現・東急百貨店)では少女音楽隊も結成されていました。

一三翁は大阪三越呉服店の少年音楽隊からヒントを得て、大正2年(1913年)7月15日、16名の少女による「宝塚唱歌隊」を結成します。
これがタカラジェンヌのはじまりです。