日本には“演歌”というジャンルがあり、そこでは男女の悲哀や悲恋が歌われ、日本人の生活に欠かせない娯楽として長く親しまれてきました。フランス人にとってシャンソンとはどいう存在ですか?
ダニエル>フランスにおけるシャンソンの伝統は、それぞれの個人的な歴史と結びついているのではないでしょうか。私の場合は、マルセイユとモロッコに住んでいた祖母が1930年代に大流行した歌って踊るオペレッタが大好きだったので、その影響を受けているかもしれません。ある家庭ではみんなで唄ったりするでしょうし、全くそういうことをしない家庭もあるでしょう。私たちはラジオやテレビで育ちましたが、インターネットが普及した今の時代においては、音楽を聴くという感覚も我々と同じではないでしょうね。しかし、スペインの映画監督ペドロ・アルモドバルや現代劇のアーティストなど、普遍的なものとしてシャンソンを使っているひともいます。ピアフの『バラ色の人生』などは世界中で知られているシャンソンですよね。今ではもう聴かれなくなったシャンソンも沢山ありますし、あまり有名ではない楽曲もありますが、『En Piste-アン・ピスト』ではフランス人にはよく知られた歌をたくさん聴くことができます。プログラムの最後にレオ・フェレの『Il n'y a plus rien(もう何もない)』が登場します。これは1973年に発表された曲で、交響曲のような壮大な詩が綴られていますが、今ではもう忘れ去られてしまっている。ただ、歌詞からレオ・フェレの政治に対するアンガージュマン(社会参加)が伺えますし、消費社会に巻き込まれないで生きていきたいという彼の願望を強く感じます。
レオ・フェレの詩が持つ力は、現在にも通じる今日的な意義を持っています。私たちは他人や自分自身についてはもちろん、何かを決定するときは注意深くいるべきだということが訴えかけられているようです。現代では人々への影響力はもはや政府や国には見当たりませんし、政治的な野心の中にすらありません。けれど、GoogleやFacebookだったらどうでしょう……。
けれど、このダンスのポエジーに触れるためにわざわざフランス語のシャンソンの歌詞を知るには及びません。1970年代の消費社会を批判する詩であり、長くて理解するのは簡単ではありませんから。
『En Piste-アン・ピスト』(C)Frank Boulanger
1980年代に生まれたヌーヴェル・ダンスの時代から現在まで、長い間ダンス・シーンを牽引されてきました。ダンス界の移り変わりをどう感じますか?また、そこで成功するために必要な要素とは何だと考えますか?
ダニエル>この質問は非常に難しいですね。私は1982年からコンテンポラリー・ダンスの世界にいますが、人々の関心が海の波のように過ぎていくのを見てきました。毎日違っていたり、同じだったり……。大変才能ある人が日の目を見ないこともありましたし、それほどでもない人が脚光を浴びることもありました。私が思うに、ダンス界で成功するには、何かを発見するセンスや大きく発展させる手腕を持っている必要がある。私たちは学校で教えたりといったこともしていますので、何人かには制度上の評価を与えたこともあります。中心となるような人はダンスを職業とし、それで食べていくことができます。学校や有名な人物は新しい美学を強いられます。もしかするとそこでは、冒険するセンスはもっと些細なことかもしれません。
(c)Benjamin Favrat