アップルは非合法ビジネスからスタート
アップル社のスタートは雑誌の記事から
ウォズニアックはジョブズの5歳上でしたが妙に気があいました。二人が最初の事業を始めるきっかけになったのが一つの記事。1971年、カリフォルニア大学バークレー校の寮に入っていた21歳のウォズニアックに母親からエスクァイア誌の記事が送られてきました。記事の題名は「小さな青い箱の秘密」で、内容は電話回線をだまして不正に無料で電話する若者たちを取りあげたものでした。
当時、キャプテン・クランチというスナック菓子があり、オマケに小さなホイッスルがついていました。ホイッスルを吹くと電話料金が無料になることに技術者が気づきます。このホイッスルの周波数が、偶然、トーン信号と同じでした。このトーンは、電話線が待機状態を示す信号で、まず電話して呼び出している間にトーンの音を電話線に流すと電話線は待機状態になります。待機状態となったところで、つなぎたい電話番号を発信すれば相手に電話がつながり、これで無料電話がかけられます。この仕組みで開発されたのが「ブルーボックス」と呼ばれる電子装置。「ブルーボックス」が若者に出回り、不正に長距離電話をしていました。
ウォズニアックはさっそくジョブズに記事を見せ、独自のブルーボックスを開発することにします。「ブルーボックス」を開発した技術者にも会い話を聞き、スタンフォード大学の図書館でAT&Tの技術資料を見つけ、トーンの周波数を突き止めます。既存のものよりも小さなブルーボックスを作ろうとウォズニアックは考え抜いた回路を書き、たばこの箱の大きさぐらいまで小型化に成功します。
ウォズニアックが作り、ジョブズが売り歩く
長距離電話料金に悩む学生に販売
アップル社の製品はウォズニアックがアイデアを形にして作りあげ、ジョブズが商品の魅力をアピールして売りさばくという役割分担で業績を伸ばしていきますが、最初の製品からその役回りでやっていました。
ただウォズニアックはブルーボックスの開発、製造にかかりっきりで、ほとんど授業に出ておらず悲惨な成績となり大学を去ることになります。ジョブズは高校卒業後、リード・カレッジに入学しましたが1学期で辞めてしまいます。ただしモグリで興味ある授業には出ていました。スタンフォード大学で行った卒業生向けのスピーチではモグリで聞いた授業がアップル製品のヒントになったという話が出てきます。
Apple1を世界に送りだしアップルがスタート
大学をドロップアウトした二人のスティーブがいろいろと回り道をしていた頃、コンピュータが世の中に登場し始めます。ただし、自分で部品を揃え自分で組み立てなければなりませんでした。半田付けも必要で、時間も技術もない人には手が出ません。そこで完成したボードを売ったら儲かるのではないかとジョブズがアイデアを出します。ブルーボックス以来の事業です。さっそくコンピュータショップのオーナーに見本を見せたら50台の注文を受けました。ボードを製作するために、ジョブズはワーゲンバスを、ウォズニアックはヒューレット・パッカード製のプログラミング電卓を売り、最初の資金を作ります。そしてApple 1を作り、売り出しました。よく売れ、儲かったため、本格的に事業化するため会社を作ることになります。ヒューレット・パッカード社で働いていたウォズニアックはしぶっていましたが、ジョブズが「一度くらい失敗してもいいじゃないか。それよりも、俺は一度会社を作ったことがあるんだぜ、と自慢できる方が大切さ」と口説き、アップル社がスタートします。
「企業のIT活用」版・トリビアの泉 アップル&ジョブズ
エクセルはマック版が最初だったアップル社のリンゴマークは旭という品種
アップル社はエイプリルフールに創業した
アップルのカラー機能はブロック崩しをするためについた