「いじめる子の気持ち」に無関心ではありませんか?

なぜいじめるのか
近年、度重なるいじめを苦にした自殺と、いじめに対する学校や教育委員会の対応への不信感が、大きな話題になっています。このコーナーでもたびたびいじめをテーマに取り上げてきましたが、改めていじめがなくならない理由について、いじめる側の心情を焦点に考えてみたいと思います。
いじめ問題が取り上げられる際、「いじめられる子」の傷に同情することが多いのに対し、「いじめる子」についてはマイナスのレッテルを貼る程度で、「なぜ人をいじめるのか」という背景についてまで、あまり深く考えていないことが多いようです。
人をいじめてしまうのは、その子が今、何か大きな問題を抱えているからだと思われます。この「いじめる子」側の気持ちに目を注がなければ、どんなにいじめを厳罰化したり、いじめをなくす運動を強化しても、いじめはなくならないでしょう。
<目次>
- いじめる側の心理は、自分の心を守るための「防衛」
- いじめを理解するための2つのキーワード
- いじめる子が受け止められたい本当の気持ち
- いじめる子が認められたいのは「成績」や「成果」ではない
- 先入観を脇に置き、子どもの話をじっくり聞く
- 信頼できる周りの大人が気持ちを受け止める
- 専門相談機関につながり、より深い支援に導く
いじめる側の心理は、自分の心を守るための「防衛」
ではなぜ、人は人をいじめてしまうのでしょう? それは、誰かをいじめることで、「何か」から少しでも楽になりたいと願うからだと思います。人は心の状態がとても不安定になると、その危機的な心理から逃れるために無意識に心の安定を保つメカニズムを働かせます。これを「防衛機制」といいます。
防衛機制にはたくさんの種類があります。たとえば、宿題の前についゲームにふけってしまうのは、「逃避」という防衛機制です。弟や妹が生まれた途端に上の子が母親にベタベタ甘えるのは、「退行」という防衛機制です。失敗したときに都合のいい言い訳を考えるのは、「合理化」という防衛機制です。
こうした防衛機制を働かせることで、いっときでも、フラストレーションや葛藤、不安から楽になることができます。誰かを攻撃する「いじめ」にも、こうした防衛機制が関わっていると考えられます。では、いじめはどんな防衛機制に当たるのでしょう?
いじめを理解するための2つのキーワード

いじめる気持ちを理解するには
たとえば、「置き換え」という防衛機制が考えられます。これは、ある対象への感情を、他のものに向けることです。つまり、いじめる子がいじめられる子に向けている怒りは、本当は別の人に向けたい怒りだということです。怒りをその人に向けられないから、たやすく攻撃できる相手に置き換えて、八つ当たりをしているわけです。
また、「補償」という防衛機制も考えられます。これは、劣等感を他の優越感で補おうとする防衛機制です。誰かをいじめれば、優越感を得られます。本来はいじめではなく、他のことで優越感を得たいのに、それが無理だと感じているので、いじめによって優越感を補っているわけです。
こうした防衛機制は、誰の心にも無意識に生じるものです。そのため、「いじめ」とまではいえないような、小さな八つ当たりや自慢、ひやかしなどが、子ども同士のやりとりの中ではよく起こっています。
しかし、相手を深く傷つけ、ましては自殺に追い込むほど行動がエスカレートしてしまうのは、いじめる側の心に満たされない思いや、強い怒りの感情があるのかもしれません。そして、その気持ちを分かってもらえず、真剣に向き合ってもらえないことへの落胆の思いがあるのかもしれません。
このような同じ鬱屈を抱えた仲間が集まると、その鬱屈を「置き換え」や「補償」の行動で解消し、それがエスカレートして集団極性化することがあります。それを見過ごしている、あるいは見ないようにしていることが、いじめがなくならない原因の一つになっているのではないかと思います。
いじめる子が受け止められたい本当の気持ち

いじめる子が理解してほしいこと
誰かをいじめる場合、その気持ちの根底には、いちばん自分を受け止め、認めてほしい人に受け止めてもらえない、認めてもらえない悲しみや不安が渦巻いていることが多いものです。未成年の場合、その多くが親に対する思いだと思います。
たとえば、親への怒りの「置き換え」で、手近にいる弱そうな子を攻撃する場合、親に対する怒りの気持ちを聞いてもらえない、まともに受け止めてもらえない、という思いがあるのかもしれません。
「いつも頭ごなしに怒ってばかりいないで!」「私の気持ちを真剣に聞いてよ!!」と言いたいのに、その気持ちをぶつけても取り合ってもらえない、言っても「愚痴を言う暇があったら、勉強しなさい!」などと、怒られるだけ・・・・・・。こうした思いを抱えると、親にぶつけられない怒りを弱い子に向け、鬱屈から解放されて楽になりたい、と思うこともあるのではないかと思います。
いじめる子が認められたいのは「成績」や「成果」ではない
また、「補償」の防衛機制から弱い子をいじめて優越感を得ているなら、親に「ありのままの自分」が受け止められていない可能性も考えられます。たとえ、100点や1等賞をとるたびにほめられているとしても、「成績」や「成果」だけで評価されることは、子どもの気持ちをますます不安にさせます。なぜなら、「成績が落ちたら、自分は無価値だ。愛してもらえないのではないか?」という恐怖心が、常につきまとうからです。
子どもには、成績や成果ではなく「もっと自分の本質を理解し、その良さを分かってほしい」「頑張ったことや取り組んだプロセスを見ていてほしい」という気持ちがあるのだと思います。
先入観を脇に置き、子どもの話をじっくり聞く

いじめる子の気持ちになって話を聞いていますか?
いじめは、本当の気持ちが受け止められない悔しさや、表面的な成果を期待されるプレッシャーを抱えて追いつめられた人が、自分を防衛するために無意識にしてしまう行為なのだと思います。
したがって、いくらいじめる人を断罪し、「いじめをなくそう」と啓発しても、人をいじめずにはいられない人の奥底にある気持ちが理解され、受け止められないかぎり、いじめはなくならないでしょう。
さらに、一度「この子はいじめっ子」と見なされると、人はその子の行動のすべてを「いじめっ子がやっていること」と捉えがちになるものです。したがって、その子が何を主張しても「わがままを言っている」、良いことをしても「何か裏がありそう」というように捉えられてしまうことがあります。
子どもと話をする際に大切なのは、先入観を脇に置き、じっくりと相手の立場に立って話を聞くことなのです。数回では、うまく話を聞き出せないかもしれません。うそや言い訳が続くかもしれません。それでも、真剣にその子の話を聞きたいという姿勢を示していくうちに、「本当はこうしたかった」「こうしてもらいたかった」という素直な気持ちが湧いてくるものと思います。
信頼できる周りの大人が気持ちを受け止める

誰か一人でも気持ちを受け止めてくれる人がいれば救われる
人は、自分の素直な気持ちを信頼する誰かに理解され、受け止めてもらうことで、心の奥にあるわだかまりを浄化することができます。この浄化の体験によって、その人は、自分の考え方や行動を振り返り、「もう一度人生を建設的な方向に築いていきたい」という気持ちを持つことができます。
親がその役割を担えれば最良ですが、すべての親に期待できるわけではありません。なぜなら、親自身、そして家庭全体に何か大きな問題があり、世代間でいじめの構造が連鎖している可能性もあるからです。
そうした場合、誰か一人でも、周りにいる大人がその子の気持ちを受け止めることが大切になります。教師、きょうだい、祖父母、おじおば、部活のコーチ、塾の先生など、その子が信頼を寄せてくれそうな大人なら、誰でもいいのです。
専門相談機関につながり、より深い支援に導く

話を受け止める側も、一人で抱えずに相談する
とはいえ、いじめる子の気持ちをうまく受け止めきれないかもしれません。そんなときには、スクールカウンセラーやスクールソーシャルワーカー、地域の心理相談窓口などを利用して、アドバイスを受けるといいと思います。
こうした相談機関には守秘義務がありますので、秘密は固く守られます。まずは、周りの大人がカウンセラーやソーシャルワーカーなどの専門家に相談することで、それとなく本人やその家族を支援につなげることもできます。
繰り返しますが、いじめられた子を救うだけ、いじめる子を批判するだけ、「いじめをなくそう」と叫ぶだけでは、いじめはなくなりません。
ついいじめてしまう子の気持ちに、周囲の大人が早めに気づき、その子の心の奥にある気持ちを受け止めること。そして、その子のなかにある「建設的な方向に生きていきたい」と願う気持ちに注目し、その気持ちを一緒に育み、実現していこうと働きかけることが大切なのだと思います。
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