なぜ「違い」に人は反応するのか
違いに向き合うと「闘うか」「逃げるか」のモードに入る
人は太古の昔から集団で生活することで身を守って生き延びてきました。集団の一員でいるためには、周りとの協調関係を保つ必要がありました。誰か一人が違うことを始めたら、それは集団全体の危機につながる可能性がありました。そこで、私たちは「同じ」であることに最新の注意を払ってきたのです。
このような背景から、人は基本的に他者と「同じ」ことに安心感を持ち、「違う」ことに危機を感じます。「違い」に危機感や違和感を覚えるのはいわば生き残るための知恵であったわけです。
ですから、「違い」に向き合うときにはまず、
「私たちはそもそも違いに対して嫌悪感や危機感、違和感を感じる傾向がある」
ということを認識するところから始める必要があります。
「闘う」か「逃げる」か
人が「違い」に出会ったとき、主に次のどちらかのパターンに分かれます。1.闘う
反論する、怒ったり泣いたりと感情的になる、議論をふっかけるなど
2.逃げる
無視する、納得したふりをする、人に振る、あきらめるなど
正面から戦いを挑むのか、それとも戦いを回避することで負けはしないことを選ぶのか、方法は違えど、いずれも「自分の正当性、正しさ」を守るための反応です。無意識にこの影響を受けたまま思考や行動を続ければ、どうしてもそこには「対立」が生まれます。
そのとき、もちろん相手の中でも同じような反応が起こっているはずです。そのような状態では、「勝ち、負け」もしくは「自分の正しさを守ること」のみが目的となり、本来の目的(仕事上のゴールやチームワークなど)はいつのまにやら脇によけられてしまいます。
たとえば、プレイヤーとして優秀だった管理職が人を育てられないということにも少なくありません。
例えば、
- 資料のつくり方、プロジェクトの進め方などを手取り足取り自分のやり方を教え、実行させる
- 営業案件やプロジェクト進捗などを細かく報告させ、自分のやり方に訂正していく
- 自分と同じタイプの部下には声や目をかけるが、違うタイプの部下には関わりをあまり持たない
- 自分と合った方法に対してのみ承認する
何より、「違い」に対して「闘う」か「逃げる」の反応しかないのはとてもストレスです。「違い」をわくわくしたり、そこに可能性を感じられるような第3の関わりはないものでしょうか?
次ページでは、その「第3の選択肢」について検討してみましょう。