自分の今後の10年を見据えて、今年に何をしておくか。
示唆にあふれたお話を伺ってきました!
<INDEX>
・50になったら、自分のやりたい仕事を自由にやりたいと思っていた
・インターネットの世界で何かできないかと考えて、有料メルマガを発行
・気軽に仕事をすることと、高収入を得ること、そのバランスが大事
・小さな会社を高収益集団にするノウハウを有料メルマガで公開
・新しいことへの挑戦は、自分の中に高揚感を生む
・企画を持って売り込みに行くと、仕事が向こうからやってきた
・企画は1つのテーマで切り口を変えて10本作ること
・本にすることを想定してブログやメルマガを出すといい
・日々の活動に無駄を作らない、1つのネタを3つにも4つにも使う発想をする
プロフィール
セミリタイヤするまで
・生家の前は、東映系の映画館。朝から晩まで流行歌が流れていた。典型的な町っ子だった。・ずっと書くことが好きだったので、大学卒業後、広告会社に入社。コピーライターとなる。
・休暇をとりたくて、30歳でフリーライターとなる。
・ライター集団を立ち上げ、そのまま会社(ビッグペン)を設立。
・編集プロダクション「ビッグペン」の社長として、辣腕を振るい、数々のベストセラーを出す。
・55歳で、念願だったセミリタイヤ生活をスタート。東京のど真ん中で、悠々自適な生活を送る。
50になったら、自分のやりたい仕事を
自由にやりたいと思っていた
ガイド:55歳でセミリタイヤをされたのは、どういうお考えからだったんですか。
大勝氏:
本当は50歳でしたかったんですが、なんだかんだで55歳になっちゃいましたね。セミリタイヤというのは、言葉が流行っていたので、そう言ったまでです。生活のための仕事じゃなくて、自由な感じでやりたい仕事をやれたら、ということなんです。
僕は、書くことが好きで、大学を卒業して広告代理店に就職して、20代でコピーライターになったんですが、30歳の時に、あまりに忙しくてちょっと休みたいと思ったんですね。ただ、いい年した男が仕事を休む、というのも世間体が悪いと思って(笑)、フリーになりますと言って会社を辞めました。本当に休むつもりで、1年目は失業保険をもらっていましたよ。でも、2年目からは、広告だけでなく、出版社とかいろんなところから仕事がくるようになって、いわゆる会社という発想じゃなくて、ライター集団を作って、立ち上げたんです。その当時、ライター集団というのが業界の中にいくつかあったんですよ。つまり、フリーライターが集まって事務所を作り、仕事を分担するという形態です。
ライター集団を会社組織にして、2、3年やったのですが、どうも運営がうまく行かない。あとからよく考えれば当然なんですが、ライターの仕事って手間がかかる割に、ギャラが少ないわけです。
「デザインや編集もやってくれれば、もっとギャラを出せるのに」と言われて、結局、編集プロダクションにしないと、やっていけないんだということが分かったんですね。それで、いわゆる編集プロダクションというカタチにして、それ以後やってきました。けれど、僕の感覚としては、もともとはライター集団なので、会社として大きくする発想はあまりなかった。30歳でフリーになったから、区切のいいとこで50歳になったら1人になり、自分のやりたいテーマで書きたい、仕事もあくせくしない状態にしたいと、ずっとそう思っていたんです。結局、5年延びて55歳で実現したというわけです。
現在、有料メルマガを発行している大勝さん、次ページへ続きます>>