1955年ショックレー半導体研究所 インテル誕生秘話
ショックレー半導体研究所跡地 当時は果樹園が広がっていました |
ENIACは真空管で作られましたが、次に画期的なトランジスターが登場します。
1955年シリコンバレーにショックレー半導体研究所が設立されます。当時は現在のようなビルが建ち並ぶ町ではなく果樹園が多く残る牧歌的な土地でした。
ショックレー半導体研究所を設立したのはウィリアム・ショックレーという人物で、ベル研究所時代に2人の同僚と点接触型トランジスタを発明しています。ショックレー博士はこの発明でノーベル賞を受賞しています。
ショックレー半導体研究所では優秀な研究員を集めましたが、最終的には研究員8名と喧嘩別れすることになりました。スピンオフした研究員8名が独立してフェアチャイルドセミコンダクターという会社を作ります。
その後、フェアチャイルドセミコンダクターからさらにスピンオフしたロバート・ノイス、ゴードン・ムーアがインテル社を設立します。このインテル社から世界初のマイクロプロセッサが生まれます。
>> 世界初のマイクロプロセッサを作ったのは日本人
シリコンバレーのきっかけがショックレー半導体研究所
実はシリコンバレーはショックレーがショックレー半導体研究所を作ったことがきっかけです。ショックレー半導体研究所から独立してフェアチャイルドセミコンダクター社やインテル社が生まれ、また関連企業などが集積するようになり、やがてシリコンバレーと名付けられるようになりました。
ショックレー半導体研究所が設立されたマウンテンビューにはコンピュータ歴史博物館ができています。
1975年 マイクロソフト設立
マイクロソフトの創業地 Cal-Linn |
7つほどのユニットが長屋のように固まっているのがマイクロソフトが創業した「Cal-Linn」という建物です。
ビル・ゲイツがマイクロソフト社を設立したのが今からちょうど32年前の1975年4月。ビル・ゲイツが20歳の時でハーバード大学に在学中の頃です。相棒が幼友達のポール・アレンで、この二人でマイクロソフトを設立します。
1975 年3月、ビル・ゲイツとポール・アレンがAltair8800用のBASICを開発し、MITS社にライセンスします。MITS社からAltair 8800 が375ドルで発売されました。このAltair8800用のBASICが、世界で最初に開発されたマイクロコンピュータ用言語です。
最初の取引先であるMITS社がニューメキシコ州アルバカーキにあったことからマイクロソフト社もアルバカーキに設立されました。設立した時に入居したのがCal-Linnと呼ばれる長屋のような建物で今も残っています。
アメリカの不動産広告を見るとCal-Linnのユニットの一つが$72,025で売りに出され、もちろん広告にはマイクロソフトが創業したところと説明が入っています。ここからマイクロソフトは世界企業に育ちましたので、「縁起がよい」と不動産としての付加価値が上がるのでしょう。
MITS社の事業が順調に軌道にのりましたので翌年12月にビル・ゲイツはハーバード大学を中退し、経営に本腰をいれます。ここからマイクロソフト社の躍進が始まります!
創業の地にマイクロコンピュータ博物館を作ることを考えましたが、地理的な問題から西側に作られることになりました。