「企業のIT活用」版トリビアの泉No5です。日本人による世界初を集めました。

■世界初のマイクロプロセッサを作ったのは日本人
■世界初のインターネット専門誌は日本で生まれた

■フラッシュメモリーは日本初の半導体メモリ


世界初のマイクロプロセッサを作ったのは日本人

マイクロプロセッサ【MicroProcessor(Unit)】とはコンピュータの心臓部にあたる半導体チップで、MPUとも呼ばれています。
世界初のMPU
世界初のマイクロプロセッサを作ったのは日本人

現在ではパソコンだけでなくありとあらゆるところでマイクロプロセッサが使われており、私たちの生活にはなくてはならないものになっています。

車を動かすにしてもエンジンの燃焼制御システム、ブレーキシステム、カーナビ、ETCなど1台の車に何台ものマイクロプロセッサが装備されています。マイクロプロセッサがなければ車は1mも前に進めません。

また番組予約、炊飯器、冷蔵庫、電子レンジなど、家庭内にもたくさんのマイクロプロセッサが入っています。このマイクロプロセッサの生みの親が日本人でした。

電卓戦争時代に新しいアイデアが誕生

今から30年ほど前にビジコン社という会社があり、社員に嶋正利という人物がいました。
電卓戦争時代
電卓戦争時代

当時は電卓戦争時代で、カシオ計算機やシャープ等から次々と新しい機種が出て、オフイスのソロバンを置き換えていきました。電卓戦争は現在の携帯電話戦争と同じようにいかに早く新機種を出すかが勝負でした。

電卓の機能はカスタムメイドのLSIで実現されていました。別の機能を追加したり、変更する場合はLSIを設計しなおすのが当たり前のやり方でした。

嶋氏は発想を変え、汎用的なLSIにソフトウェアを追加し機能を実現しようと考えました。

世界初のマイクロプロセッサ『Intel4004』誕生

嶋氏はアイデアを実現しようと日本のLSIメーカーをまわりますが、どこも前向きな返事をもらえず、あきらめてアメリカにわたることになります。

そして1969年に創業したばかりのインテル社を訪問します。嶋氏はアイデアを説明しますが、インテル社でも最初は理解されませんでした。ところが、若いテッド・ホフという技術者がそれは面白い考え方だと評価してくれたことから共同で設計に着手します。そして1971年世界初のマイクロプロセッサ『Intel4004』が誕生します。この時、嶋氏は27歳でした。

『Intel4004』は4ビットのマイクロプロセッサでした。4ビットというのは命令語の長さで、ビット数が多い(長い)ほど複雑な命令を扱うことができます。現在、パソコンに入っているペンティアム4は64ビットのマイクロプロセッサです。

グラフィック描画が多いプレイステーション3などのゲーム機では128ビットのマイクロプロセッサが登場しています。  >> ゲームキューブ・ゲームボーイ 『3社の次世代ゲーム機まるわかり!』

さて、4004で電卓戦争を戦ったビジコン社ですが経営の問題から1974年に倒産してしまいます。

8080が誕生!

マイクロプロセッサの大きな可能性に気がついたインテル社はビジコン社から製造権、販売権を手に入れ、次なるマイクロプロセッサの開発に着手します。

嶋氏は1971年にビジコン社を退社してリコーに入社していましたが、インテル社がほうっておくわけはありません。請われてインテルへ、そして1974年に8ビットのマイクロプロセッサ 『8080』が生まれます。

嶋氏はやがて一緒に仕事をしていたインテルの技術者がスピンアウトして作ったザイログ社に移ります。ザイログ社から8ビット・マイクロプロセッサ『Z80』さらに『Z8000』を世に送り出し、全世界でパソコンブーム(当時はマイコン)がまきおこります。

私も昔、『8080』を使って制御システムをよく開発していました。

『iRMX86』と呼ばれるオペレーティングシステムや『PL/M』と呼ばれる言語を使い、炭鉱の集中監視システムなどのシステムを開発していました。現場で不具合が発生すれば『8080』のアセンブラを使って現場で修正するような力技も多かったですね。

『8080』、『Z80』共に、つい最近まで制御システムとしてよく使われていたマイクロプロセッサです。

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