■世界初のマイクロプロセッサを作ったのは日本人
■世界初のインターネット専門誌は日本で生まれた
■フラッシュメモリーは日本初の半導体メモリ

世界初のインターネット専門誌は日本で生まれた

世界初のインターネット専門誌は意外なことにアメリカではなく日本で生まれました。インプレス社発行の『インターネットマガジン(Internet Magazine)』で、2004年に創刊10周年を迎えました。
インターネットマガジン創刊
インターネットマガジン創刊

インプレス社を立ち上げたのが塚本慶一郎氏です。塚本慶一郎氏といえば西和彦氏と一緒に日本初のパソコン専門誌『アスキー(ASCII)』を立ち上げた人物です。

ところが社長の西和彦氏と意見が対立。1991年春にアスキーを辞め、翌年にインプレス社を立ち上げました。インプレスの社名は「人に感銘を与える」から名づけられています。

1994年、インターネット市場は生まれたばかりでインターネット専門誌を出しても商売として成り立つか未知数です。そこで1994年7月、幕張メッセで開催された日本発のインターネット展示会『インターロップ』にプレ創刊号を並べてみました。

プレ創刊号を2万部用意しましたが、来場者が二重三重とブースの周りに列をつくり、あっという間になくなってしまいます。

パソコン通信全盛期にインターネットマガジン創刊

これはいける!と『インターネットマガジン』を創刊したのが1994年9月です。
インターネットにすぐつながる
インターネットにすぐつながる

創刊号から当時珍しかったCD-ROMがついた雑誌でした。CD-ROMにはインターネットの接続ソフトが入っており、雑誌を買えばすぐにインターネットを始めることができました。これは便利でした。

当時はパソコンにネットワーク接続ソフトは何も入っていなかった時代です。もちろんインターネット・エクスプローラのようなブラウザーもまだ皆無です。創刊号3万5千部は瞬く間に完売し、6千部をすぐ増刷しました。

インプレス社では『インターネットマガジン』を日本初と思って創刊しましたが、米国にもインターネット技術やハウツウを本格的に扱った専門誌はなく日本初どころか世界初でした。その後、インターネット接続するネットサーファのバイブルとなりました。
※専門誌ではありませんがアメリカにインターネットを扱った雑誌が一誌だけありました。

1994年9月創刊号の記事は
「これがインターネットの世界だ」「パソコン通信VSインターネット」
などでした。

1994年当時、まだまだパソコン通信華やかりし頃です。ビジネスマンはPC-VANやNifty-Serveなどのパソコン通信で情報のやり取りをしていました。

1994年パソコン通信とインターネットが接続され、ようやくメールのやりとりが出来るようになります。新聞にインターネットの言葉が出始めた頃でまだまだ啓蒙の時代でした。

プロバイダーはわずか29社

日本初の商用プロバイダIIJがスタートしたのが1992年。また個人向けのプロバイダーBekkoameやリムネットが登場したのが1994年です。そんな時代です。
商用ネットワークサービスプロバイダーの接続マップ
商用ネットワークサービスプロバイダーの接続マップ。わずか29社しかなかった。

『インターネットマガジン』第2号(94年12月号:最初は季刊でした)の特集は「WWW大航海記 Mosaicで21世紀のマゼランになれ」でホームページを見るためのブラウザーとして登場したばかりのネットスケープも紹介されています。

もちろんロゴは怪獣でした。  >> 怪獣ゴジラから命名したWWWブラウザーがあった

『インターネットマガジン』第6号(95年6月号)が新創刊ということで「後悔しないプロバイダー選び」が特集記事でした。

この号から月刊誌となり、商用ネットワークサービスプロバイダーの接続マップがつくようになります。と言いましてもわずか29社だけの実に牧歌的な時代でした。

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