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団塊の世代に輝きを!吉本興業功労者木村政雄氏の転進(3ページ目)

今回インタビューをお願いしたのは、フリープロデューサーの木村政雄氏、吉本興業躍進の功労者である。月刊のフリーペーパー「5l(ファイブ・エル)」の創刊を手始めに講演、執筆など活発に動いている。

執筆者:木村 勝己

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生き延びる条件

大阪ではお客の入場が減少していた吉本新喜劇のリストラをやり若返りをはかる。10日単位の興行を1週間に変えたり、ブランドを上げるために、東京のサンシャインでの公演や、ブロードウエイで公演といった新たな試みを展開した。この時多くのベテランは関連業界にうまく変身して活躍していったが、自分を変えられないものは、そのまま衰退していったそうだ。生き延びるためには変化に柔軟に対応できる考え方・行動が必要という。

入院で見えた新しい世界

1992年に取締役に就任する。名古屋、福岡、札幌、岡山に事務所を開き、銀座7丁目劇場、渋谷公園通り劇場をオープンするなど、吉本興業の全国展開を推進する。全国展開の戦略としては、最初に東京で成功させることだと話してくれた。そして1997年には常務取締役就任する。

自分では感じていなかったというがストレスがあったのだろう、十二指腸潰瘍で2週間入院することになった。この時会社は自分がいなくても回っていくということがよく見えたそうだ。退院後、仕事は部下に任せて講演会など外を回るようになった。当時の社長には常務とは常に務めると書くのだよと、冗談交じりに言われたそうだ。

56歳での決断

2002年、吉本興業を退職する。「33年勤め、お笑い界もメジャーになったし、やりたいことをやった。あるとき貢献した人間が最大のネックになっていくことがある。自分は今離れる時と思った。」そうである。56歳のときであり大きな賭けであったが、やめてから考えよう結果は後からついてくると考えての決断である。

会社を辞めても40本近くあった講演依頼のキャンセルはなかった。連絡先が必要のため会社を立ち上げる。現在は結婚しているが、当時の松川秘書も退社し一緒に協力してくれたそうだ。

人のマネジメントやプロデュースが好きであり、芸能界以外で役に立てるのは何かと考え、有名塾を主宰する。現在迄に7期で500人くらいの卒業生を出し、悩んでいる人に方向付けをするような指導を行っている。年代毎に悩みはそれぞれだが、一番シリアスだったのが50代、特に団塊の世代であったという。

そして次ページのようなイメージ作りを始める。
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