あるとき貢献した人間が、最大のネックになることがある
 
木村政雄氏
木村政雄(きむら まさお)昭和21年 京都市生まれ。昭和44年吉本興業に入社し、横山やすし・西川きよしらのマネ-ジャ-を務める。平成14年に退職し、事務所を設立。現在は、フリープロデューサーとして、講演・執筆活動、テレビ・ラジオ出演の傍ら、教育事業・エンターテインメント事業を展開。著書として『笑いの経済学』、『こうすれば伸ばせる!人間の賞味期限』ほか多数。


吉本興業躍進の功労者

団塊の世代で日本をリードしている人へのフォーカス第4段になる。今回インタビューをお願いしたのは、フリープロデューサーの木村政雄氏、吉本興業躍進の功労者である。現在、新会社「ライフエンタテイメント株式会社」を設立し、月刊のフリーペーパー「5l(ファイブ・エル)」の創刊を手始めに講演、執筆など活発に動いている。

木村政雄氏は1946年、京都市生まれ。子供の頃は近くの山でチャンバラなど、自然を相手に遊んだという。野球選手になる夢もあり平安高校を希望したが、父親の反対に合い普通高校に進学した。

大学へは新聞記者になろうと考え、同志社大学文学部社会学科新聞学専攻に入った。父親が国家公務員をしており、毎朝決まった時間に出勤して、酒もタバコもやらないまじめな人だった。何が面白いのかなと思ったそうだ。当時のテレビドラマで事件記者をやっており、自由に動ける感じが新聞記者への興味になったという。

就職活動は新聞社

当然のこと就職活動も新聞社を希望した。しかし産経新聞社の6次試験まで進んだ試験は、紹介ルートのシード組みに試験組みが全採用を奪われる形で終わる。そこで大学の就職課で求人掲示板を見て目に入ったのが、渡辺プロダクションと吉本興業の2枚の募集情報であった。渡辺プロダクションは音楽系であり場所は東京である。木村氏は京都に住んでいたこともあり、大阪にある吉本興業に応募し入社となった。

最初は場所が近いので京都花月劇場に配属された。1年やったが劇場の勤務はチケットの売り上げの合わせなど受身的なものが多く、本社勤務への異動を人事課長に談判した。やめる覚悟で望んだことが功を奏したのか異動がかなう。

そして次ページのようにやすし・きよしのマネージャーになる。