「今の自分は本当の自分ではない」「本当に自分は何をしたいのだろう?」。ふとこんなことを考えたり、悩んでいる人はいませんか? 「自分探し」ブームとも言われますが、「本当の自分」は追い求めている人は多いようです。今回と次回にわたって、『「本当の自分」の現象学』という著書もある哲学者の山竹伸二さんに、「本当の自分」についておうかがいしました。
《CONTENTS》
●「本当の自分」はないが、確かに実感できる(1P目)●「現象学」から「本当の自分」を考察する(1P目)●「本当の自分」の条件は「自由」と「承認」(2P目)●「自由」と「承認」の両方に目を向ける(2P目)●哲学者に聴く ・本当の自分を探す(後編)「本当の自分」はないが、確かに実感できる
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哲学者・山竹伸二さん(略歴はページ末尾参照)
――近年、「本当の自分」を追い求め、「自分探し」をする人が増えています。その中で、会社を辞めたり、転職を繰り返す人もいます。山竹さんは哲学の現象学という立場から「本当の自分」や「自分探し」について考えておられていますが、「本当の自分」は見つかるのでしょうか?
山竹:「本当の自分」というと何か心の奥底に抑圧されているものと考えられがちですが、それは探し求めることで得られるものではありません。何か実体として存在するものではないからです。
――それでは、「自分探し」をすることは無意味なのでやめたほうがいいのでしょうか?
山竹:そうとも言えません。実際に、「本当の自分」を探し求めようとする人がたくさんいるわけですし、私自身の経験からも、「本当の自分」を実感する体験というのは確かにあります。
――私自身も、「これが本当の自分だ!」と気づかされた体験はあります。
山竹:そうですよね。大事なのは、「本当の自分」がどこかにあると考えたり、そんなものはないと否定したりするのではなく、どのようなときに、どのような条件において、人は「本当の自分」を実感するかを明らかにしていくことなのです。
「現象学」から「本当の自分」を考察する
――どうすれば「本当の自分」を実感する条件を明らかにできるのでしょう?
山竹:そこで、現象学という哲学の思考方法を用いるのです。現象学における考え方の特徴は、意識に現れたものに対し、現れたこと自体の「不可疑性」を認める点です。(注:「現象学」についてはページ末尾を参照してください)
――「不可疑性」……。もう少し、かみ砕いて話してもらえますか?
山竹:例えば、今、私は机の上に置かれているコップを見ています。私はここにコップがあることを疑っていませんが、これが幻影ではないという保証はどこにもありません。つまり、私が「ここにある」と思っているコップが現実に存在するかどうかは私にはわからないのです。
――当然、コップがあるように思ってしまいますが、現象学ではそうは考えないんですね。
山竹:まずは、コップが幻影ではなく客観的に実在するかどうかという議論については保留にします。しかし、コップが私の意識に現れている、「確かにコップはある」という私が思っていること自体を疑うことはできません。これが、意識に現れたこと自体の不可疑性を認めるという意味です。
――「本当の自分」もそれが実在するかどうはさておき、それを実感していること自体は認めていくわけですね。
山竹:そうです。現象学を創始したフッサールは、「意識の外側には客観的世界がある」という確信、ないし思い込みに対し、それを一時的に保留し、世界が実在しているかどうかではなく、世界が実在しているという確信がなぜ生まれるのかを考えました。同じように、「本当の自分」があるかどうかではなく、「これが本当の自分だ」という確信(実感)がなぜ生まれるのかを考えるのです。
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●現象学とは?
現象学とは、ドイツの哲学者エドムント・フッサールによって提唱された哲学の考え方。世界の実在性を確信する条件を明らかにし、主観と客観は一致するか、という哲学史上の難問を解消しました。意識に現れた対象の本質を解明する優れた思考方法でもあります。考え方としては、近代哲学の主流をなす観念論の系譜を受け継いでいて、ハイデガーやサルトルなど、現代哲学にも多大な影響を与えています。
哲学者・山竹伸二さん
1965年、広島生まれ。広島修道大学人文学部心理学専攻卒業。学術系出版社の編集者を経て、現在、哲学・心理学の分野で著述家として活動中。大阪経済法科大学アジア太平洋研究センター客員研究員。朝日カルチャーセンターにて「フロイト完全解読」などの講座を担当。
著書に、『「本当の自分」の現象学』(NHKブックス)、主な論文に、「自由と主体性を求めて」(第14回暁鳥敏賞を受賞)、「現代的な苦悩と自由の問題」(大阪経済法科大学アジア太平洋研究センター年報第1号)など。