蒸溜所を建設したワシントン
生臭い政治の話ではなく、大統領と酒の話で盛り上がろう |
昔からバーでは政治とスポーツ(とくにプロ野球)の話はするな、と言われている。激して口論になりやすいからだろう。でも大統領の酒ならば、生臭い政治の話にはならない。
先日、オバマ・アメリカ合衆国新大統領の就任式があったが、歴代大統領の中にはウイスキーとの縁が深い人が多い。
まず初代大統領ジョージ・ワシントン。建国後の1791年に独立戦争の出費補填のため初めて酒税を課す。スコットランドやアイルランドから移住し、独立戦争に身を捧げた開拓農民でウイスキーをつくっていた人々は激怒して、1794年、ペンシルベニアで反乱が起きる。
これを「ウイスキー戦争」とか「ウイスキー反乱」というのだが、ワシントンは兵を出動させて鎮圧した。その3年後、彼は大統領を辞し、バージニア州マウントバーノンの自宅農場で暮らすようになる。そこでなんと彼は蒸溜所を建設したのだ。
発掘調査によって5基の単式蒸溜器を備えた本格的なもので、ライウイスキーを生産していたことがわかっている。ただワシントンが蒸溜を見たのはわずか2年。67歳で逝去。
バーボンを愛したリンカーンの父
さて次は16代大統領のリンカーン。アメリカ人の誇りとされる大統領だが、ケンタッキー出身のこの人はバーボン普及の功労者ともいえる。まずは彼の父親が凄まじいばかりのバーボン党で、バーボンに金を費やすために農場を売り払ったほどだ。また家族旅行に出かけたとき、筏(いかだ)に乗った。不運にもその筏が転覆してしまう。父親は家族を助けるより先に、持参していたバーボン樽を救ったという逸話がある。
息子が大統領になるだけあって、なかなか豪快な人だったようだが、息子は南北戦争時に父親の愛したそのバーボンをアメリカ各地へ普及させることになる。
次頁ではリンカーン大統領とバーボンにまつわる話をする。
(次頁へつづく)