クールビズ用に相応しい靴はシンプルなもの
クールビズ用の靴はどうする?
うーん、これって簡単なようで結構悩ましい質問なのですよ。今回は皆さんと一緒にこの話題+α、ちょっと真面目に考えてみましょうか。
2005年の夏からはじまった、いわゆる「クールビズ」運動。本来は他の分野での取り組みも色々とあるのですが、やはり一番注目されたのは、ノージャケット・ノーネクタイ化の推奨に代表される、冷房を弱めにしても暑く感じないような男性の装いの工夫でしょう。暑い時季の略装に言わば「国家」のお墨付きが得られたわけで、大方の人は特に何も考えることもなく喜んだのではないでしょうか?
でも、身に付けるものを少なくすると言うことは、「残りのまだ身に付けているものだけで、何かを的確に表現しなくてはいけない」ことも意味します。今までの装いに求められていた以上に、「清潔」とかさらには「信頼」などの感覚を、今までよりも数少ないアイテムで表現しなければならない。これは意外と難題で、年代や業種に関わらず、大多数の方が最適解を未だに見出せていないのが現状でしょう。
ジャケットやネクタイなどがなくなり、装いの重心が軽くなる分、それを下支えする靴も表情がシンプルなものを合わせ、容姿全体の釣り合いを取る。靴に関しては、解らなくなったら、素直にこのように考えてください! 具体的には、ブローグやメダリオンなどゴテゴテと入っていないプレーントウの紐靴が、このような装いに大変重宝するはずです。まさに、偉大なる単純。 ローファーなどのスリッポンも、まあ悪くはないのですが、ちょっと軽さが強調され過ぎてしまう場合もありますし、プレーンなものでもモンクストラップとなると、バックルが目立って清涼感が出なくなるケースも出てきます。なので、どちらもちょっと応用編。プレーントウをしっかり履きこなせるようになったら、トライされてみて下さい。
また、アッパーの素材も、素直に牛のスムースレザーで良いと思います。近年カバンの素材で人気の編み革メッシュ(イントレチャート)は魅力的ですし確かに涼しいでしょうが、個人的には表情がビジネス向きとは思えません。色合いは、もし職場の環境が許されるのであればやや薄めの茶色があると、何かと重宝します。もちろん普通の黒でも大丈夫です。ただし、ジャケットがないとベルトが丸見えになりますから、靴とベルトの色調を合わせることを、絶対に忘れないで下さい。
クールビズは足元から考える!
ちょっとしたブームになったKEDSの古典的なキャンバススニーカー。今季は様々なお店向けの別注品が数多く出揃い、その出来も大変素晴らしかったのですが、実はその中で、クールビズ向けに「あと一歩で最適」なものがあったのです。それが上の写真の外羽根式プレーントウ「ヨーマンオックスフォード」です。ご覧の通り、スタイル自体はどのような場面でも通用してしまうごくごく自然なもの。それを頑丈さと通気性に優れるコットンキャンバス地で作ったわけです。アウトソールはスニーカーですから当然ゴムですが、インソールをレザーではなくジュート地とすることで、履き心地の柔らかさと吸湿性の良さを両立させました。
アッパーとアウトソールの境目も、一般的なドレスシューズを髣髴とさせる色合いのテーピングで処理されているので、いわゆる「レザースニーカー」よりも落ち着いた印象を与えます。
さすがにダークスーツ姿ではバランスを取りづらいでしょうが、ノージャケット・ノーネクタイの装いには、このくらいの「ほどほどの軽快さ」がむしろ相応しいのかもしれません。レザーのドレスシューズだと、足元がどうも重苦しく見えてしまうからです。これならばウールのみならず、綿や麻の無地のやや細身のトラウザーズなどとの相性、悪いはずないですよね!
惜しむらくはキャンバス地の色でしょう。スニーカーですから、この紺と白しかリリースされなかったのは当然なのですが、これにもし黒とかやや薄手の茶色があったら…… 上述のようにスタイル・機能面双方から見て、文句無しにクールビズ最適靴になったでしょう。
クールビズから見る日本のビジネス服……マナーではなくルール?
クールビズ運動も様々なキャンペーンのお陰か一応の定着を見せているようです。「冷房の廃棄熱削減による温暖化抑制」という地球レベルでの大義名分だけでなく、職業の多様化(スーツ・ネクタイ姿でなくても高収入と社会的信用双方を得られる職種の増加)を伴う日本の社会構造の変化、さらにはオフィス内過冷房が原因の夏場の冷え症に悩む女性からの支持など、それを下支えしてくれた要素は様々です。が、その一番の理由はやはり、最初のページにも書いたとおり、「暑い時季の略装に「国家」のお墨付きが得られたことから来る、集団行動的安心感」
であることは、想像に難くありません。ただ、これは裏を返すと、日本人男性の装い特にスーツ・ネクタイ姿は、
「あくまでルールとしてでしか捉えられておらず、マナーとしては全く成熟していない」
ことが、残念ながら証明されてしまったとも言えるのではないでしょうか?「ルール」とは、簡単に言えば上方の他者から一方的かつ支配的に降ってくる「規則」であって、答えは唯一絶対のもの。それに従ってさえいれば損害や衝突は起こりません。交通ルールやスポーツのルールを思い出せば、それはご理解いただけるでしょう。
それに対し「マナー」とは、自律的かつ他者と双方向的なものであり、最も相応しい答えが変化し得る、あくまで一応の「指針」や「作法」。各自が都度その場に応じ考え抜く必要があるものです。携帯電話のマナーやテーブルマナーなどを想像いただけると、この辺りは実感できますよね。つまり、単に上司や取引先に何か文句を付けられるのがイヤで、これまでは真夏でもスーツ・ネクタイ姿だっただけであり、ノージャケット・ノーネクタイ姿は
「お上が『楽にしていい』と、ルールとして許可してくれた」
と安直に判断したがゆえの怠惰な略装であって、クールビズ本来の意義を考えた上で取り組んでいるものには、残念ながら成りきっていないということです。また、通常のビジネス向けとは到底思えない、まるで夜のご職業の方のような装いで闊歩される方も中には出てきていますが、それもこの「許可」を拡大解釈している方々なのだと判れば、実は前者と同根だと納得がゆきます。
いずれにせよ、この辺りの「ルールとマナーの履き違え」が、決して少なからぬ人々のクールビズ的装いが、未だ「クール」ではなく、単にだらしなくしか映らなかったり、むしろ暑苦しくさえも感じる根本的な原因ではないか?と、大変僭越ながら小生思うのです。「クール」って、英語では単に「涼しい」の意味だけではないですよね! 小生、クールビズ運動そのものには決して反対ではないだけに、胸中いささか複雑です。
クールビズでは理性を持って、コーディネートを考えよう
いや、なにもこの装いにおける「ルールとマナーの履き違え」という現状を、実際身に着ける側のみに責任を押し付けるつもりは、小生毛頭ありません。服や靴を作る側そして、同業者にどうこう申し上げるのは気が引けるのですが、それを伝える側も、多くはその違いを全然認識していないような感があるのです。その証拠に、例えば「その着こなしはエレガントじゃない……」とか「イタリアの男性なら……のようにするだろう」などの、クールビズ的な装いに対する批評が挙げられましょう。この種のコメントは、一聴・一読すると聞こえはよいものの、よくよく考えてみると曖昧で論点がすり替わっているような気がします。
そもそも昨今なんでもかんでも用いられている「エレガント」って、一体実体は何なのでしょう?また、日本とイタリアでは気候も人もまるで違うんだから、仮に装いが全く異ならない方がかえって不自然ではありませんか?つまり、
「今身近にある問題として、伝える側の多くが直接対峙していない」
から、そういった抽象的な表現でしか言葉を選べず、その核心を有機的に見破れていないのです。これでは身に付ける側にメッセージは届きません。
確かに最新ブランド情報のようなハイファッション的世界や海外の著名な方の話題は、日常の装いに比べれば追っていて遥かに面白いでしょう。しかし、それだけでは現実感のない全くの根無し草です。普通のサラリーマンとして働き、今も酷暑のラッシュアワーを散々経験する小生にとって、伝える側のこの認識不足は大変残念でなりません。伝える側もそれほど頼れないとなると、クールビズ的な装いを今よりも「清潔」かつ「信頼」のおけるものにするためには、
「装いはルールではなくマナーだと気付けた理性ある方々が、より進んで理性的に最適解を導き、それに基づき行動すること」
これが一番確実な道とならざるを得ません。具体的な方法はそれこそ「マナー」ですから、各自の置かれた環境によって変化するでしょう。ノージャケット・ノーネクタイばかりが最適解ではない場合もあり得るはずです。そしてそれがさざ波のように少しずつ多くの方々に伝わってゆけるようになれば、クールビズに限らず、日本の服飾文化さらにはそれを包括する倫理観が、もう少し高次元なものになるのではないでしょうか?
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