掲載日: 2003年 12月 25日
東京で食べられる、台湾でも人気のあの肉まん 門外不出の味、鹿港の肉包
|
そう、ここは東京・世田谷にある「鹿港」。みんなのお目当ては「肉包(肉まん)」「あんまん」、そして「まん頭」だ。何に驚いたかって? オープンして1ヶ月しかたってないのにかなりの行列、売り切れるまでの時間、日本人にも饅頭が人気、地元密着型で地元の人に大人気、少人数で手作りというところ。とにかく驚きの現場を覗いてみることに。
1994年の2年間、日本語教師として台南へ行かれていた時、たまたま旅行で訪れた鹿港で、老舗「振味珍」の包子(肉包。肉まんのこと)を食べて単純に「おいしい」と感じたのが始まり。その後日本に戻って、横浜中華街などで肉包を食べてみるものの、鹿港で出会った味には再会できなくて残念に思っていたそうだ。そしてまた2001年に台湾を訪れる機会があり、台湾人の友人と鹿港へ行って老舗「振味珍」の包子を食べてみて、やっぱりおいしいと感じていたその時だった。友人の台湾人がずかずかと店内に入っていき、店の老バンに「この日本人がこの味を教わりたいそうだ」と直談判を始めた。老バンであるおじいさんは、日本語世代の人だったので日本語でおいしかったことを伝えて、日本にはこんなにおいしい肉包はないなど、いろいろとお話されたそうだ。このときはこれでおしまい。また日本に戻って生活を送っていた。
自分で食べたいものを作りたかっただけです。もしも日本にあの味があれば、私が作らなくてもよかったのですが。あとは「縁」があった、ということでしょうか。縁があったからこそ修業ができて、縁があったからこそ世田谷でオープンできたのかなあと。 弟子としての生活は本当に多忙。休みなしで毎日7時から19時まで、みっちりと修業。長期では滞在できないので、1年で6回に分けての滞在をして修業を。もちろん、店の従業員の中で最年長で、しかも外国人。とはいえ、鹿港の親切な人々や若い従業員たちと仕事の後に食事へ行くのが楽しみで、息抜きになったそうだ。また、滞在先は老バンの自宅だから寝食ともに肉包一色という感じで修業が続いた。 そして老バンからやっと許可がでて日本に戻り、日本でもさらに味の研究を続けて2003年11月店のオープンにこぎつけた。これまで門外不出の味で、台湾人であろうとも一切暖簾分けしていなかった「振味珍」で初の支店が誕生したことになる。しかも外国人でだ。老バンもとても喜んでくれた。
「肉まん屋を開店」と話すとだれもがわかってくれずに、物件を探すのが一番大変でした。
メニューは、肉包、あんまん、まん頭の3種類のみとはいえ、店内は大わらわ。男手は小林さんだけ。修業で得た皮を作る技術がまずは第一のポイントで、皮の材料は小麦粉に砂糖、スキムミルク、イーストを混ぜて、機械にかけて生地を作る。この何気ない行程の中に修業の成果があって、鹿港の皮と再現できている。どこにその秘密があるのかは絶対に教えられないそうだ。 |
関連用語: 日本語教師資格認定制度 / 日本語教師 /

開店時間の30分ほど前から、人が並び始める。列はどんどんのびていき、開店と同時に蒸籠の中身がみるみる減っていく。正直いって驚いた。すごい売れ行きである。
老バン(=店長)は小林貞郎さん(33)。2003年11月7日、世田谷に店をオープンさせた。老バンの小林さんはどうやって、門外不出の味を守る鹿港の老舗で修業できたのか、早速聞いてみた。
そんなにまでして、「振味珍」の肉包の味をご自分で作りたかった?
日本で開店までに大変だったことは?
開店してみると口コミでそのおいしさがすぐに広まり、毎日行列が絶えないように。鹿港の「振味珍」の行列にも負けないようだ。では、店内での作業風景をお伝えしよう。
鹿港の店にはないのが、あんまん。あんまんは日本人にお馴染みなのでメニューに加えた。中華料理のあんまんは油っぽいアンコだが、こちらのあんまんのアンコは油っぽくなくてさらりと作られている。皮は肉包と同じ。