フレンチ
東京のビストロ(8ページ目)
近年大人気なのが、比較的お値打ちでおいしいフレンチが味わえる、ビストロ。お値段はワイン1本飲んで1万5000円前後が目安。
記事一覧
小さなホテルのメインダイニングは粋なビストロだった レ・シャンソン(銀座)
ガイド記事嶋 啓祐予約無しで行ける気軽さオープンなダイニングフロアだいたいの場合においてフランス料理を食べに行くときは、いついつ誰それと何人で、と予約を入れるのがいつしかあたりまえのことになってしまっている。どこに行こうかと考えあぐね、何を食べようかと思いをはせるのはとても楽しい。レストランの楽しみはそこから始まって...続きを読む
【閉店】 コントワー松喜(経堂)
ガイド記事嶋 啓祐小田急線は経堂駅小田急線は経堂駅から農大通りを進んだところに小さなカウンターフレンチがある。地元の人はご存知の方も多いだろう。その料理人は20年も前の1985年、当時から賑やかな学生街である下北沢にル・グラン・コントワーを開店し、実に堅実に日本におけるフレンチを広めてきた重鎮、菅沼豊明氏だ。店内から...続きを読む
【閉店】ビストロ・イッシュウ(明大前)
ガイド記事嶋 啓祐掘り炬燵のあるビストロここがフレンチだとはなかなか気付かないかも知れない私鉄沿線で特急電車が止る駅はそこそこ賑やかな街かと思う。そんな街にはパン屋さん、カフェ、定食屋、そしてカジュアルなフレンチやイタリアンがあると思い込んでいた。京王井の頭線の明大前駅は82年に上京して以来何度となく降り立った、まあ...続きを読む
31年の歴史はさらに進化するか ビストロ・ド・ラ・シテ(西麻布
ガイド記事嶋 啓祐勝又氏手書きの当時のままのメニュー31年前のメニュー今、手元に31年前のメニューがある。31年前と言うと私は10歳、小学校の3年生か。仮面ライダーやウルトラマンに憧れていた時代だ。その時代の西麻布は一体どんなところだったのだろうか。どんなフレンチが存在していたのだろうか。写真のメニューは当時のシテの...続きを読む
【閉店】ラ・マリー・ジェンヌ(銀座)
ガイド記事嶋 啓祐銀座奥の路地裏に画廊や小さな事務所が建ち並ぶ古いオフィスビルの地下。路地裏とはいえ、ここもまぎれもなく銀座だ。銀座といえば昼夜問わず気持ちがときめく街。ブランドショップが建ち並ぶメインストリートは昼の銀座だとすると、夜の主役は段々とその路地裏まで延びてきている。カウンターには所狭しとワインのボトルが...続きを読む
ブラッスリーVIRON(渋谷)
ガイド記事嶋 啓祐札幌オリンピックで日の丸ジャンプ隊が金銀銅のメダルを独占した1972年。当時私は小学校4年生だった。楽しみと言えば朝早く学校に言って授業前の草野球。そして次は「給食」だった。当時の給食はご飯がまだなく、角食パンが4枚もついてあとはマーガリンかジャム、そしておかず。しかしそのパンが非常にうまくない。ど...続きを読む
【閉店】トロカデロ(下北沢)
ガイド記事嶋 啓祐遥か昔の学生時代、井の頭線沿線に住んでいた私は、友人と連れ立ってシモキタに行くことが結構な楽しみだった。グルメというより雑貨屋さん巡りだったのだが、狭い路地にひしめく個性的な店舗は若い学生にとっても魅力溢れるものだった。それは今も変わらない。興味はグルメに移ってしまったがこじんまりとした個性的なレス...続きを読む
「雑然さ」と「悠然さ」と ル・デパール(代々木上原)
ガイド記事嶋 啓祐レストランは何も男が女を誘うための道具ではありません。とは言いながら男同士で体裁を気にせずガツガツ食べたくなる時に、さあ何処行こうかと悩むことが結構あるものです。お洒落なイタリアンでは場違いかなと思い、ましてやフレンチとなると、「おいおい、そんなとこあったっけ?」となることもあるでは。第一回目は大人...続きを読む
【閉店】ブラッスリーバルバラ(新宿)
ガイド記事嶋 啓祐まさか駅ビルに入っているレストランを取り上げることになろうとは思わなかった。だいたい駅の中や隣接するレストランは大資本チェーン店といった不特定多数のお客様を相手にする、いわゆる特徴のないお店ばかりだと思っていたからだ(ほとんだがそうだけど)。日本を代表するグルメなU氏が「嶋さん、ルミネの上にですね、...続きを読む
ビストロ・クスクス(中野)
ガイド記事嶋 啓祐中野。以前勤めていた会社が東銀座からこの地に移転したのが1988年だったと記憶している。新入社員時代は銀座、転職して東銀座、やっぱり都会はいいなあ、と実感していた20代前半はとても懐かしいものだ。ところが会社は中野に移転。慶応幼稚舎上がりの上司など、「まるで都落ちダ」と叫んでいたことを思い出す。そん...続きを読む