エルサレムの歴史3 イスラム教の誕生と十字軍
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イスラム建築最高傑作のひとつといわれる岩のドーム。礼拝を呼び掛ける塔=ミナレットがないのもひとつの特徴 ©牧哲雄
根を同じくするイスラム教にとってもエルサレムは聖地だったわけで、636年にイスラム帝国はこの聖地を征服する。特にムハンマドが天馬に乗り、1夜にしてメッカからエルサレム神殿跡にある基礎石に降り立ったという伝説が広まると、エルサレムはイスラム教第3の聖地として崇められるようになった。
691年、アブド・アルマリクは基礎石の上に華麗なドーム型礼拝所、岩のドームを建築する。
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岩のドームのエントランス。青いタイルと美しいアラベスク ©牧哲雄
1229年には神聖ローマ帝国のフリードリヒ2世が外交交渉でエルサレムの管理権を手にするが、1244年にイスラム教徒が再び奪還すると、エルサレムは1917年のイギリスによる侵略・委任統治までイスラム教徒の管理下に入る。
エルサレムの歴史4 中東戦争とエルサレムの現在
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エルサレム新市街。ヨーロッパの近代都市と変わらぬ街並みだが、銃を持つ兵士があちこちにいる ©牧哲雄
決定打となったのがふたつの世界大戦で、19世紀から高まっていたユダヤ人のシオニズム(ユダヤ人国家建設運動)はナチスの迫害を受けると頂点に達し、ユダヤ人は世界各地から次々にパレスチナの地に帰還。結局1948年にイスラエルとして独立を宣言する。
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イスラム教徒の女性 ©牧哲雄
エルサレムは第2次世界大戦後、国連の分割決議で永久信託統治とされていたが、第一次中東戦争を経て東エルサレムをヨルダン、西エルサレム(新市街)をイスラエルが支配・統治する。
しかし、第三次中東戦争でイスラエルが東エルサレムを占領し、以来、旧市街もイスラエルの管理下にある。イスラエルは首都をエルサレムであると宣言しているが、国際社会はこれを認めておらず、日本大使館もテルアビブにある。
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エルサレムの滅亡を予感してイエスが涙を流したと伝わる「主の涙の教会」から見たエルサレム旧市街
また、時おりテロや軍事侵攻が行われるような政治状況や、意思統一された保護機関がないこと、イスラエルによる旧市街の開発が進められていることなどから、現在エルサレムは危機遺産リストに登録されている。