エルサレムの歴史1 ユダヤ人国家の成立と滅亡

嘆きの壁で祈りを捧げるユダヤ教正統派

嘆きの壁で祈りを捧げるユダヤ教正統派と呼ばれる人々 ©牧哲雄

紀元前13世紀前後、エジプトで奴隷として働いていたヘブライ人(古代ユダヤ人)たちは、モーセに率いられてエジプト脱出に成功する。映画『十戒』でおなじみの、海をまっ二つに割った伝説で有名な出エジプトだ(『旧約聖書』の「出エジプト記」)。このとき神とモーセの間に交わされた約束を集めた聖典が『タナハ』だ。

ユダヤ人たちは神が約束した聖地カナンを求めて中東の地をさまよい、紀元前1,000年前後、ついにヘブライ王国を建国する(出エジプトの様子はエジプトの世界遺産「聖カトリーナ修道院地域/エジプト」の記事でも紹介しています)。
聖墳墓教会の小聖堂エディクラ

一時イエスの遺体を収めた棺のある聖墳墓教会の小聖堂エディクラ。この下に最初の人間アダムの遺体があり、イエスの血が注がれて原罪をあがなったと伝えられる ©Jlascar

第2代ダビデ王は、神が世界を創造する際に中心として置いた基礎石(エデン・シュテイア)があり、アダムの遺体が収められていると伝わるエルサレム周辺を征服して首都に定め、第3代ソロモン王はここにエルサレム神殿を建築する。この神殿はユダヤ人にとってはじめてにして唯一の神殿で、ユダヤ教最高の聖地となった。

しかし、ヘブライ王国はやがて南北に分裂し、北のイスラエル王国はアッシリアに、南のユダ王国は新バビロニアに滅ぼされてしまう。紀元前6世紀、新バビロニアのネブカドネザル2世はエルサレム神殿を破壊すると、多くのユダヤ人を捕虜として連れ去った(バビロン捕囚)。新バビロニアを滅ぼしたアケメネス朝ペルシアのもとでユダヤ人は祖国に戻ることを許されると、多くのユダヤ人がエルサレムに帰還する。
巡礼宿オーストリアン・ホスピスから眺めたエルサレム旧市街

オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の援助で建設された巡礼宿、オーストリアン・ホスピスから眺めたエルサレム旧市街

紀元前63年になると、エルサレムはローマ帝国に組み込まれる。ヘロデ王の力で属州・ユダ王国として認められたユダヤ人たちは、ローマの建築技術の粋を集めてエルサレム神殿を再建する。

エルサレムの歴史2 キリスト教とローマ帝国

ゴルゴダの丘で祈りを捧げる人々

聖墳墓教会のゴルゴダの丘で祈りを捧げる人々。プロテスタントではイエスは旧市街の外で処刑されたと解釈しているため、ゴルゴダの丘がもう1か所ある ©牧哲雄

紀元前7~4年頃、世界遺産にも登録されているベツレヘムでイエスが生まれる。イエスに関する話は宗教や宗派ごとに異なっているのだが、一般的に日本で知られているのは、ユダヤ教を敵にまわしたイエスがゴルゴダの丘で十字架にかけられて殺される物語だ。イエスは遺体を棺に収められたものの3日目に復活し、弟子たちの前に姿を現す。弟子たちはイエスがメシア(救世主)であることを確信し、この新しい信仰=キリスト教を広めていくことになる。 

イエスが世を去ったあとの66~70年、ユダヤ人とローマの間でユダヤ戦争が起こり、エルサレム神殿は徹底的に破壊されてしまう。当時の神殿の面影を残すのは神殿の丘の西面だけで、ユダヤ教徒がこの破壊をここで嘆いたことから「嘆きの壁」と呼ばれることになる。以来エルサレム神殿の再建はユダヤ教徒の悲願とされ、現在に至っている。
ゲッセマネの園

イエスが最後の晩餐のあと祈りを捧げたオリーブ山のゲッセマネの園 ©牧哲雄

一方キリストの弟子たちは1世紀前後、イエスを介して神と結ばれた新たな契約を『新約聖書』としてまとめ、『タナハ』はこれに対する形で『旧約聖書』と呼ばれるようになる。4世紀にローマ帝国の国教になると、キリスト教は西ヨーロッパ中に広まり、大航海時代以降、全世界に広がっていく。