丙午(ひのえうま)の迷信とは?
「丙午(ひのえうま)」は、十干の「丙」と十二支の「午」が組み合わさった年で、60年に一度巡ってきます。2026年が丙午です。丙午が注目されるのは、「丙午の年に生まれた女性は気性が激しい」とされ、「夫の命を縮める」「夫の運気を食い尽くす」といった迷信があるからです。
これはあくまで古い迷信であり、科学的な根拠はありません。現代社会では、こうした迷信にとらわれないことが大切です。
丙午の迷信が生まれた理由
「丙(ひのえ)」には、「火の兄(ひのえ)」という意味があります。古代中国から伝わった陰陽五行思想において、万物の要素とされる「木・火・土・金・水」の五行は、それぞれ陰と陽に分かれています。そして、この陰と陽を兄弟に見立て、陽を「兄(え)」、陰を「弟(と)」と呼んでいます。
「火」の陽である「火の兄(ひのえ)」は、燃える火のごとく「木・火・土・金・水」の中で最も勢力が強いとされました。さらに陽性の火の中で最もおそろしいものと考えられました。
また、十二支の「午(うま)」は動物に当てはめると馬になります。馬は十二支の中で最もよく走り、勢力旺盛で一番力強いものと思われました。
「おそろしい火の陽性と力強い馬が重なる時が丙午である。その丙午の年は火災が多い災いの年であり、そのような年に生まれた人は陽の最も強い気質を持つ」と信じられるようになりました。
丙午の迷信と「八百屋のお七」の関係
そして江戸時代、1666年の丙午生まれだという「八百屋お七」が、ほれた男に会いたい一心で放火事件を起こして火あぶりの刑に処されると、「丙午生まれの女性は気性が激しいので夫の命を縮める」などといわれるようになりました。「八百屋お七」の話は、浄瑠璃や歌舞伎でも取り上げられて人気となり、丙午の迷信は大衆に広がっていったのです。
明治以降も続いた迷信の影響
丙午の出生数(矢印部分)が激減したことが人口ピラミッドからも分かる(国立社会保障・人口問題研究所の画像をAll About編集部が一部加工)
前回の丙午である1966年(昭和41年)は迷信の影響が顕著で、出生数約136万人(出生率1.58)で、前年の出生数約182万人(出生率2.14)に比べて約25%減少しました。翌年、1967年の出生数が約193万人(出生率2.23)に回復していることから、子どもを考えていた夫婦が丙午の出産を避けたことが分かります。
丙午生まれの女性のリアルな声
では、丙午生まれの人たちはどう思っているのでしょうか。 筆者が1966年・丙午生まれの知人女性たちに聞いてみたところ、次のような感想がありました。「自分や家族はとくに気にしていないのに、周囲の人たちが丙午を話題にするのが嫌だった」丙午の話はあくまでも迷信です。令和の今、惑わされないようにしてほしいと思います。
「全体の人数が少ないので、受験などの競争率が低めでよかった」
「お年寄りが丙午を気にしていただけだと思う」
「全く気にしていないし、夫婦円満で還暦を迎えます」
「自分で丙午をネタにすることはあるが、迷信を本気で信じている人はいないと思う」
<参考資料>
『日本の風俗ー起源がよくわかる本』(樋口清之著/大和書房)
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