スコッチの輸入自由化、オールドの驚異的人気、ウオツカと白色革命
左より「サントリーリザーブ」、缶詰ハイボール「トリスウイスタン」、「サントリーポップカクテル」3製品
1970年代の酒類業界はスピリッツの新潮流が渦巻いた、ある意味、激動の一時代といえる。まずは1960年代後半からの動きを見つめる必要がある。
1969年(昭和44)、「リザーブ」(『サントリーリザーブ・ハイボールに香る白州モルト』参照)が登場した。創業70周年を記念した製品であったが、重要な役回りを担ってもいた。
1968年、日本の国際収支は大幅な黒字となる。国民総生産(GNP)が世界第2位となり、経済大国(『山崎蒸溜所100周年13/1960年代ウイスキー興隆のはじまり』参照)への道を歩んでおり、それ以前から高度経済成長によって貿易自由化による酒類の輸入数量制限撤廃、つまり輸入酒の自由化に拍車がかかっていた。1961年のビールにはじまり、ウオツカ(1962)、ジン(1964)などの自由化は早かった。
そしてバーボン、ブランデーが1969年、翌年ワインとつづき、1971年にスコッチウイスキーが自由化される。
この71年は円為替相場の切り上げがあり、翌72年にはスコッチをはじめとした関税引き下げも起こり、自由化への対応が強まったのだった。ウイスキーに関しては国産か舶来品かの意識では時の流れに遅れをとる。そこで国際品として海外製品に負けない味わいと品質を訴求できるウイスキーとして「リザーブ」が誕生したのである。
さらには72年にグレーンウイスキーの品質と生産力を高めるためサングレイン(現サントリー知多蒸溜所)を創設。そしてサントリーウイスキーの市場での人気は高まり続けており、需要増に対応するためだけでなく国際競争力の強化、将来のモルトウイスキー充実のために山崎に次ぐ第2の蒸溜所、白州蒸溜所が73年に完成、操業(『山崎蒸溜所100周年4/名水が生むモルトウイスキー』参照)となった。
この間、No.1人気だったレッドを超え、幻のウイスキーと呼ばれてからやがて一般市民には手の届かない酒といわれた「オールド」が急激に伸長する。そして70年代半ばには完全に「オールド」の時代を迎えるのだった。
これは「オールド」の酒質、水で割っても崩れない、水割りの飲酒スタイルが和風料理店でも愛されたこともあるが、日本が豊かになった証でもあった。一般市民に手の届く酒となったのである。
また面白い時代でもあった。日本ではウイスキーが伸長しているなか、アメリカでは1974年にナショナルドリンクであったバーボンを抜き、ウオツカがスピリッツ部門でNo.1の座に着いたのだった。ブラウンスピリッツ離れがすすみ、ホワイト・レボリューション(白色革命)が起こったのである。
ウオツカ主導で軽快な飲み口のカクテルが好まれるようになる。「ウオツカ・トニック」「スクリュードライバー」「ブラッディ・メアリー」「モスコーミュール」などが人気となる。ジンベースだと「ソルティ・ドッグ」であり、ジュースで割るシンプルなレシピで爽やかな味わいのものが流行する。健康志向もこの頃にはじまった。マイルドやライトといったワードがやたら使われるようにもなった。
また70年代後半はディスコ・ブームが起こり、踊り疲れた身体に軽快なカクテルがふさわしく、見事に時代にハマったといえるだろう。
そうしたなかアメリカの潮流とは異なる動きをみせ、「オールド」は驚異的な人気を誇るようになる。一方で時代に波長を合わせるかのように、サントリーは日本初の200ml缶入りカクテル「サントリーポップカクテル」を1974年に発売。ウイスキーコーラ、ジントニック、ジンフィズの3種であった。
この缶入りカクテルはバーベキューをはじめとしたアウトドアへのレジャーの高まりとともに、ロックンロール聴きながら育った若い世代に新感覚飲料として受け入れられた。ビールしかなかったといえる低アルコールのカテゴリーに新しい風を吹かせ70年代を駆け抜けた。これは現在、大きな市場として成長したRTDの起源(『炭酸水とハイボールの歴史2/セルツァーとは何だろう』参照/尚、1960年に先駆けといえる缶詰ハイボール「トリス ウイスタン」を発売している)といえるものだった。
(『山崎蒸溜所100周年15/1980年代ウイスキー受難の時代に未来への布石』はこちら)
白州蒸溜所(1973年操業開始)
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