「中年の危機」とは……40代、50代は要注意世代
今まで通りに仕事や家事をしてきたのに、急に「このままでいいのだろうか」と不安に襲われる…それは「中年の危機」かもしれません
「中年の危機」(ミッドライフ・クライシス)という言葉を知っていますか? 中年期に入ると精神的に不安定な状況に置かれることがあり、これを「中年の危機」と呼びます。
たとえば、若い頃からがむしゃらに働いてきた人は、中年期に入るとそれまで続けてきた仕事にどこか違和感を覚え、迷いを感じたりすることがあります。気晴らしをしても効果がなく、同時に自分のポジションを失う不安や恐怖に襲われたりもします。
また、主婦の方は中年期に入ると子どもに手がかからなくなり、急に時間ができたりします。このときにこれまで“棚上げ”にしてきたこと、例えば自分の人生、家族関係などに急に「これでよかったのだろうか」という思いが生じ、これからの生き方に迷いを感じたりします。これらはまさしく「中年の危機」です。
中年の危機を乗り越えた有名人…武田鉄矢さんとビートたけしさん
誰もが知る有名人のなかにも、「中年の危機」を体験した方はたくさんいます。たとえば、俳優・歌手の武田鉄矢さん。武田さんは、30代にドラマ『3年B組 金八先生』で主役を演じて一世を風靡。42歳で主演したドラマ『101回目のプロポーズ』が、大ヒットになりました。40代前半までは山を駆け上がるように、第一線を突っ走ってきた武田さん。しかし、『101回目のプロポーズ』を終えた直後に急にやる気がなくなり、仕事がなくなる不安にも駆られ、約20年間もうつ状態のなかで生きていたそうです。
芸人の巨匠ビートたけしさんは、47歳のときにスクーターで都内を走行中、ガードレールの鉄柱に激突。頭蓋骨や顔面に激しい損傷を負い、生死の境をさまよいました。40代で『その男、凶暴につき』(1989年)で映画監督デビューしたものの、次作の『ソナチネ』(1993年)の評価がふるわず、落ち込んでいた矢先の事故でした。後にたけしさんは、この時期うつ状態にあったことを告白しています。
中年の危機の原因・きっかけ
武田鉄矢さんもビートたけしさんも、40代で「中年の危機」に遭遇しました。どちらも30代まではがむしゃらに仕事をこなし、第一線で活躍していました。ところが40代に入り、武田鉄矢さんは芸能界を生きる自分のあり方に迷い、ビートたけしさんは芸人から文化人へとキャリアチェンジをする過程で、中年の危機に直面しました。50代も要注意世代です。晩婚化や定年延長、寿命の伸長などが影響し、最近では50代になってから「中年の危機」を自覚する人が増えているようです。50代の中年の危機について詳しく知りたい方は、「50代男性が「中年の危機」に陥る5つの要因・対策法」もあわせてご覧いただければと思います。
「中年の危機は誰にでも訪れる」と頭で分かってはいても、そのときが来たら器用に回避することなど、そうできるものでもないでしょう。多くの人は一寸先にどんな落とし穴があるのか想像できず、日々、目の前のやるべきことに追われながら生きているものです。
どんなに予防線を張っていても、「中年の危機」は思いもよらないことをきっかけに生じます。仕事の減少、仕事の転機、発病、不況、天災、家族のトラブル、親の介護や死、会社の経営不振など、避けようのない出来事をきっかけに生じることが多いのです。
中年の危機の乗り越え方・対処法
迷いと向き合ってみる、そしてフィットする答えを探ってみる――その繰り返しで出口が見つかる
大切なのは、葛藤を抱えながらも「前を向いて動く」ことです。ただし、20~30代の頃のようにがむしゃらに動くのではなく、「なんとなく魅かれる」「これは自分に合うかもしれない」などと思い浮かべたことをヒントにして、自分にフィットしそうなものを試しながら気長に探していくことです。
名言や故事のなかに、心に響く言葉が見つかるかもしれません。何気なく手にした本の中に、惹きつけられる一行があるかもしれません。なぜ惹かれるのかを考えてみましょう。一つひとつはささやかな言葉でも、その言葉を並べてみると思いがけない共通点が見つかるかもしれません。集めた言葉は暗闇に迷う自分を照らす光となり、「中年の危機」から脱する道を指し示してくれることでしょう。
中年の危機からの卒業には、長い年月がかかるかもしれません。しかし、その道を通過する過程のなかで人格は格段に成長していきます。武田鉄矢さんもビートたけしさんも、中年の危機を経たことで、若い頃より何倍も深みと厚みのある人格へと成長していきました。
苦しくても、この「中年の危機」というトンネルをくぐり抜けていきましょう。すると、若い頃にはけっして分からなかった「自分はなぜこの人生を生きているのか」という究極の人生の答えに、きっと近づくことができるでしょう。
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