1980年代よりヌーヴェル・ダンスを牽引してきたダンサーであり振付家、ドミニク・ボワヴァン、パスカル・ウバン、ダニエル・ラリューによるステージ『En Piste-アン・ピスト』。この3者で作品をつくろうと考えたきっかけ、経緯をお聞かせください。
ダニエル>ドミニクとパスカルとは1984年にボードレールの詩をもとに私が振付けた『骨と皮』で共演して以来の親友で、その後も機会がある度に一緒に踊っていました。『En Piste-アン・ピスト』は2012年に私のカンパニー・ASTRAKANが30周年を迎えた際の記念作であり、もう一度3人で一緒に踊らないかと彼らを誘ってつくった作品です。実際、シャンソンを用いたレパートリーは、それまでもいろいろな場所で踊ってきました。
何曲ものシャンソンを眺め渡し、作品の中の詩情を発見してゆく。そして私たちが実現したいことを、この60歳前後の年齢と肉体で、今同じ舞台で踊る。これはとても良いアイデアではないかと思いついたのです。
『En Piste-アン・ピスト』(C)Frank Boulanger
シャンソンに着目されたのは何故でしょう?
ダニエル>当初は言葉やフレーズ、詩に振付けをしていました。そこから少しずつシャンソンに振付けるようになり、いろいろ遊んでいくうちに、作品の形を取るようになりました。“シャンソンで踊る”ということについて可能性を掘り下げたのはパスカルです。パスカルはフィリップ・ドゥクフレとのコラボレーションでブールヴィルの『Le P’tit Bal Perdu(失われた小さなダンスホール)』を振付けています。きっとご存知の方もいらっしゃるでしょう。私がトゥールの国立振付センターでディレクターをしていたときには、お互いに振付作品をつくったこともあります。私はパスカルにレオ・フェレの『Jolie Môme』を使って振付けをし、パスカルはやはりレオ・フェレのシャンソン『On s’aimera(愛する時)』で作品をつくってくれました。レオ・フェレの『Avec le temps(時の流れに)』には、2人で振付けを行いました。
フランスで大統領選が行われたときは、右派のジャック・シラクと極右政党率いるジャン・マリー・ル・ペンの2人が決選投票に残りましたが、この状況に憤った私とドミニクは、ファシズムの台頭をイメージさせる“セルジュ・レジアニの『Les loups sont entrés dans le Paris(狼たちはパリに侵入した)』で踊らなくては!”と立ち上がりました。
このように、何かのタイミングで会うたびに、少しずつシャンソンで踊る作品のレパートリーを増やしていきました。ちょっとした歴史のようでしょう?
(C)Benjamin Favrat