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渡辺レイ×小尻健太 Opto(オプト)インタビュー!(5ページ目)

渡辺レイさんと小尻健太さん主宰のコンテンポラリーダンスプロジェクトOptoが、この秋第三回公演 ”optofile3"を開催。ヨーロッパ時代に出会ったダンサーと共に、群馬を拠点に新たなステージを発信します。上演に先駆け、渡辺さんと小尻さんにインタビュー! プロジェクトの発端と公演への想い、今後の展望をお聞きしました。

小野寺 悦子

執筆者:小野寺 悦子

バレエガイド


おふたりが日本に帰ってこようと決めた理由とは?

小尻>僕の時代が、キリアン自身がオーディションを見ていたラストジェ ネレーションでした。もともとキリアンと新作がやりたくて入ったので、キリアンがカンパニーを去ると決めたとき僕も次に進むためにカンパニーを辞めました。日本に帰ってきたのは2012年の1月。オランダからそのまま新潟に行って、2012年の1月から12月まで1年間Noism1のゲストメンバーとして踊りました。今は日本とオランダが拠点です。コンテンポラリーはやはりヨーロッパの方が進んでいるので、日本だけで活動してると孤立してしまう。ヨーロッパの刺激はどうしても欲しい。ただ最近は日本で活動する方が多くなっていて、だいたい2/3くらいはいます。

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小尻健太 クリスタル・パイト振付作品『Frontier』


渡辺>私がNDTにいたときはキリアンもまだ健在だったけど、今はもう辞めてしまい、ほとんどタッチしてない状態ですね。やはりキリアンがいた頃は独特の空気がありました。キリアン・ダンサーが沢山いて、レベルもすごく高かったし、雰囲気も良かったと思います。キリアンがジェントルマンなので、彼の魅力がNDTというカンパニーを形成しているのが目に見えてわかりましたね。彼の人柄が大きく影響し、カンパニーメンバーも家族のような仲の良さがありました。私にとってはNDTが初めて海外で所属したカンパニーで、日本から行ったばかりで何もわかりませんでしたが、すぐに馴染めました。だからラッキーではありましたね。

私は“絶対にヨーロッパで踊って生活する!”と決めてました。だからまさか日本に帰ってくるとは思ってもいませんでしたが、何が起こるかわかりませんね。直感で動いてる感じです(笑)。NDTには合計7年間いました。海外生活は全部で20年。 青春時代のほとんどをヨーロッパで過ごしました。日本に帰って来たときは、完全に浦島太郎状態でしたね(笑)。

小尻>僕はフランスに4年、オランダに8年で、ヨーロッパには12年間いました。でもどこにいっても、“日本で踊りたい!”って気持ちはずっとありました。ヨーロッパのダンサーの場合、距離的に家族や友達に自分の舞台を観に来てもらえるじゃないですか。でも僕が日本で“こういうことやってるんだよ”って話をしても、“へー!”で終わっちゃう。“実際のところどんなことをやってるんだろう”という感じで、家族も友人もそう頻繁に観に来ることはできない。自分が今どういうことをやってるか観てもらいたいという気持ちはすごくありました。だから、日本で踊る機会を積極的に掴もうとはしてました。

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前回公演より 中村恩恵振付作品『Homage to』



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