坂のある場所
国道1号線、慶應義塾大学から赤羽橋方向。真正面に東京タワーを見据える道である。三田国際ビルヂングの信号「三田一丁目」を左折すると上り坂に。「綱の手引き坂」だ。渡辺綱出生の地からとったものだが、綱が手引き坂、姥坂、近年は小山坂とも呼ばれている。小さな山は、ほんの200mほどで頂に。昔は、今のJR田町駅より向う側はすぐ海だったようだから、ここからの眺めはさぞ優雅だったろう。すぐに道は、古川に向かって下っていく。名前は、真西に降りていくからだろうか、「日向坂」へと切り替わる。二の橋を渡り、直進すると今度は仙台坂に差し掛かる。
日向坂は袖振坂ともいったそうだ。人を見送り、見えなくなる仙台坂のてっぺんで別れに手を振りあうことからそう呼ばれたらしい。建物が密集し、川の上に首都高がかかった今では不可能なことである。
緑豊かな南斜面
東京は、江戸時代から起伏の多い地勢をいかして都市形成がなされてきた。現在、少なからずその様式を残しているのが、広大な土地を有した大名屋敷跡地である。丸の内以外は比較的高台に設けられたようだが、それらは後年大きな区画をいかして邸宅街になるなどしている。比較的開発を手掛けにくい斜面地は、庭園として活用した例が多い。したがって、高台と造園に適した南傾斜地の組み合わせは格好の御屋敷候補地になったと考えられる。実際、その姿を今に受け継ぐ例が少なくない。水戸徳川家上屋敷跡地の小石川後楽園、盛岡藩南部家下屋敷跡地の有栖川宮記念公園などがその代表例といえるだろう。
港区三田二丁目界隈も同様である。綱の手引き坂南側を松平隠岐守、綱坂西を松平肥後守、日向坂の南手は島津淡路守、織田剛三郎が屋敷を構えていたとある。現在は、それぞれイタリア大使館、綱町三井倶楽部、オーストラリア大使館が坂道沿いに建物を、南傾斜地には庭を施した。都心とは思えない広大な緑の景観が希少価値をもたらしている。