異例の若さで芸術監督に就任しましたが、トップに立つ者としてはそうそう愚痴もこぼせない。迷ったとき、落ち込んだとき、どうやって自身を奮い立たせてきたのでしょう?
金森>演出家の鈴木忠志さんとの出会いが大きいです。“日本でも絶対にできるはずだ”って思っていたことを実際に成し遂げている素晴らしい先達を目の当たりにした。だから、“自分は間違ってない”と思えたし救われた。 “この国でも不可能じゃないんだ”っていうことをすごく感じたんです。鈴木さんは演劇の方だけど、ベジャールとの出会いと同じくらいの衝撃でした。鈴木さんとの出会いは講演会でした。自分もゲストとして呼ばれた講演会でお会いして、話を聞いて感銘を受け、鈴木さんが活動していた静岡の劇場に行ったんです。それで作品を観たら、ガーン!と衝撃を受けた。鈴木さんと出会ってなかったら、自分もここまで耐えられていなかったかもしれない。本当に心の支え、勝手に師匠だと思ってます。演劇と舞踊では違いもあるけど、活動を続けていく上でもう耐えられないと感じたときに、“でもあの方はやってきたんだよな”って思う。“あの方はできたんだ、しかもこの国で”と……。“じゃあ、自分も精進しなくては”と思わせてくれる。
モーリス・ベジャールとイリ・キリアンと鈴木忠志は自分にとって特別な存在。ただベジャールとキリアンはヨーロッパにいたころの経験、異文化社会での経験であって、自分の中ではある意味「二次元」だったんですよね。日本人として、日本でやっていくとなると、やっぱりヨーロッパでの経験では応用できないこともある。だけど鈴木さんと出逢ったことによって、日本人の舞踊家である金森穣として「三次元」になった。そこでまたベジャールやキリアンといったヨーロッパでの経験値をより価値のあるものに感じられたし、私の過去を総動員して現在、未来を立体的に考えることができるようになった。
そうして生まれたのが『NINA-物質化する生け贄』。鈴木さんの作品から受けた衝撃をもとに、模索し始めた身体性でつくった作品です。それが評価されて、Noismとして初めての海外公演にもつながった。
『NINA- 物質化する生け贄』(2005年) 撮影:篠山紀信
Noismメソッドの誕生もそのころですね。
金森>Noismメソッドを構築しようと考えたのも、スズキ・トレーニング・メソッドと出逢ったから。身体にまつわる自分のメソッドをつくられてる、しかも演劇で、というのがものすごく衝撃だった。例えばフォーサイスにしてもテクノロジーと呼ばれるインプロのテクニックをつくったし、オハッドもGAGAをつくったけれど、自分がヨーロッパに行った当時はまだそんなもの誰もつくってなかったんですよね。作品ではいろんなものをつくってたけど、まだみんな開発段階だし、今も殆どのカンパニーがそうですが、朝の稽古はクラシック・バレエの稽古をしてた。自分自身も日本に帰ってきてNoismで作品をつくっている中で、クラシック・バレエの稽古だけでは養いきれない部分があることを感じていた。自分のメソッド、Noismのトレーニング法を確立させなきゃと思ってはいたけれど、なかなか手を出せていなかった。でも鈴木さんに会って、これはやるしかないと思った。そして『NINA-物質化する生け贄』の身体性を基礎にして、メソッドをつくり初めたんです。
Noismメソッドには具体的なエクササイズがあります。歩き方だけでも7パターンあるし、全部やったら1時間半くらいかかる。Noismの毎朝のクラスでは、 Noismメソッドのうち冒頭の部分の稽古、床でのエクササイズから起ち上がるところまで45分くらいかけてやり、その後Noismバレエの稽古をしています。
Noismバレエの基礎はクラシック・バレエだけど、パラレルを多用したり、最近では新しいエッセンスとして横にずらすテクニックを入れたり、Noism 独自のバレエ・テクニックになっています。薬指を内側に入れるのもNoismメソッドの特徴。クラシック・バレエは中指がメインになるけれど、肱の内側を感じて欲しいので、薬指を意識するようにしました。あとこれは後付けなんですが、薬指って医学的にも五本の指の中で一本だけ神経のつながりが違うんです。 薬指を使うことでアームスの内側をより意識できるということと、一番意識しにくい指を意識することで、全身の集中力を養うという意義もあります。
ただ、クラシック・バレエ出身の子たちの意識を変えるのは大変だし、本当に時間がかかる。毎朝稽古してても、今だにやっちゃうんですよね。だから子どもの頃からNoismバレエを習っている子が育たないと……。
見世物小屋シリーズ第1弾『Nameless Hands ~人形の家』(2008年) 撮影:篠山紀信
……次回は、後編をお届けします!