極端な健康志向が及ぼす食生活への支障
食事が食事ではなくなる……?
「Orthorexia (オルトレキシア)」の日本語訳は現時点では特にないようですので、ここでは意訳をさせていただき「不健康食拒食症」と呼びたいと思います。
Orthorexia・不健康食拒食症とは
この「不健康食拒食症」は、カロリーがあるものが食べられなくなる拒食症(神経性食欲不振症)と共通点があります。拒食症の場合、なんとなくダイエットを始めただけなのに、次第にカロリーが高い物が食べられなくなり、さらにエスカレートしてカロリーがあるもの自体を摂取することが困難になるケースが少なくありません。「不健康食拒食症」の人も、はじめは健康的な食事をしていただけなのに、いつの間にかそれがエスカレートして歯止めが効かなくなってしまうことがあるようです。何を「不健康食」とするかは、個人の価値観に大きく左右されます。「不健康食拒食症」の人が避けがちだと言われているものに、動物性の食品、乳製品、砂糖、トランス脂肪酸、農薬を使ったもの、遺伝子組み換えをしたもの、添加物が入っているもの、ホルモン剤を使ったものなどがあります。
「不健康食拒食症」になると、拒食症と同じように、家族や友人などと同じ食事ができなくなります。食事から、楽しみ・団らん・文化などの面が消え去り、栄養素の摂取だけに集中することになります。しかし、不健康なものを拒否することのどこが病気なのか……という意見もあるようです。
不健康食拒食症の例
A子さんは、仕事上、朝食と昼食を同僚と共にするため、「不健康食拒食症」を伏せ続けることはできません。社員食堂は無料なのに「健康食」しか食べれないので、2食とも持参しています。A子さんは、動物性食品はとても不健康だと考えていて、もし少量食べる場合は、有機飼料で育ちホルモン剤の使用をしていないものしか食べません。よって社員食堂の動物性食品を一切食べることができません。野菜は有機野菜しか食べず、市販のドレッシングなども使えないため、有機野菜をそのままかじっています。食堂には電子レンジが設置されていますが、A子さんは糖質を再加熱することによって、糖質が難消化性でんぷんに変化し、小腸に不調を与えることを恐れているので、再加熱もできません。もちろん、飽和脂肪酸が多いものや、トランス脂肪酸が入ったものには一切手をつけません。団らんや休息としての「食事」という概念がなくなっているため、空腹時に「健康なもの」だけをつまむという感じです。社員食堂ではなく、自分のデスクで栄養摂取を済ませることも多いそうです。A子さんは、生野菜や特製シェークを飲むだけですのであっという間に食事が終わってしまいます。不健康な間食をしてしまうと、罰としてその次の食事はさらに健康的なものを食べようとします。A子さんには夫や子供がいるので、食事のレパートリーや食事に関する意見のぶつかり合いで苦労しているようです。
もう1人の例はB男さんです。B男さんは食事にかかわらず、「ナチュラル」な物が好きで、添加物などの人工的なものを極端に嫌います。最初のうちは、添加物が多い加工食を避ける程度でしたが、次第にエスカレートして、添加物が入っているエサを食べた動物性食品が食べられなくなりました。添加物・農薬・遺伝子組み換えがあるものは一切食べられなくなったので、結局は有機栽培された植物性のものだけを食べるようになりました。料理されたものを食べることが難しくなり、食材をそのまま食べるというスタイルの食事になりました。B男さんは、低栄養・栄養欠乏症で病院に入院しました。
このように「不健康食拒食症」は、最初のうちは純粋に健康的な食事をしたいというポジティブな思いからスタートします。少しずつエスカレートしていきますが、早めに専門家に相談するなどして、治療をはじめると回復しやすいと考えられています。これは、完全に拒食症に陥っていない人が、早期のうちに回復できれば、ダイエットにとらわれる生活から解放されるのと同じようです。
不健康食拒食症のリスクチェック
下記の項目が当てはまる人は、「食事」との関係を見直したり、確認したり、必要ならば専門家のカウンセリングや意見を問うのもよいかもしれません。- 普段十分注意を払っている食べ物の質(添加物、脂質の種類、有機栽培、砂糖など)を気にせずに、好きな物を食べたいと思うことがある
- 食べ物に十分費やしている注意やパワーを減らして、その分の時間やパワーを趣味や交際などに使いたいと思うことがある
- 好意で準備してもらった手料理を食べられないことがある
- 不健康な食事や栄養に関するニュースには常にアンテナを張っている
- 健康的な食事をするために、交際や楽しみなどが犠牲になっている
- 不健康な食事をしてしまうと罪悪感を感じる
- 健康的な食事をすると、自己管理ができていると感じで気分がいい
- 不健康な食事をしている他人の気持ちが分からないことがある