『New Normal』の裏テーマは「差別」
今年に入って、日本ではにわかに「差別」が前景化してきている(今までになくあからさまな差別が横行している)ように感じます。2月頃から、ある特定の民族に対して「殺せ」などと暴言を吐き散らかすような衝撃的なデモが一部で行われ、取り締まられもせず、未だに続いています。先日の橋下徹大阪市長の発言も女性への差別意識の表れでしょう。それから最近、乙武洋匡さんが車いすであることを理由に銀座のレストランへの入店を断られ、波紋を呼びました。人はどうして差別的な行動ができるのか、どうしたら差別が無くなるのか……それは実に複雑で厄介で、こうすれば解決!とはなかなかいかない問題だと思います。僕らのようなセクシュアルマイノリティは特に、いじめや差別を受けた経験もあり、いろいろ考えたりする機会も多かったと思います。
マイノリティゆえのつらさも味わいますが、励ましあって二人は生きていきます。
第3話。ベビー用品売り場でスウィートなキモチが盛り上がってついキスをしてしまったブライアンとデヴィッドに対し、子連れのパパが「やめろ、子どもに何て説明したらいいんだ」と難癖をつけ、ブライアンは得意の弁舌でそれに反論するのですが、家に帰ってから泣きだします(「僕らの子どももそんなふうに言われるんだろうか……」)。ちょっとせつないシーンです。
これも第3話。スポーツジムのドリンクカウンターに長蛇の列ができています。知的障害をもっている人が、なかなか注文ができず(本当はできるのにわざとやってるようにも見えるかも)、時間がかかっているのです。その人に向かって「早くしろ、バカ」と言った男がいて、正義感の強いデヴィッドが「侮辱はやめろ」と殴ってしまいます。が、当の本人は「俺の問題に首を突っ込むな、オカマ」と罵声を浴びせ、デヴィッドは暴力を振るったということでジムを退会になり、踏んだり蹴ったり……。
第4話。大統領選の時期、ブライアンとジェーンが民主党か共和党かで言い争い(「左翼のホモ」とか罵られながら)、ジェーンに「黒人だからというだけでオバマに入れるのなら、それも人種差別よ」と言われ、ブライアンは「じゃあ週末のホームパーティに来れば? 黒人の友達もたくさん来るから」と反論。そして言ってしまってから、「そういえば周りに黒人の友達っていないや」とあわてふためくのです。
たぶんこのドラマの重要な鍵を握っているのが、ゴリゴリのレイシストとして登場するジェーンです。彼女は初め、ゲイや黒人をさんざん罵って周りを不快にさせていますが、次第にブライアン&デヴィッドにも心を開いていきます(ある意味、義理の息子みたいな関係になるわけなので)。第3話では、ブライアンたちに「いっしょにご飯を食べよう」と誘われ、ついに食卓を共にします(ジーンときます)
ゴリゴリの差別主義者だったジェーンが男遊びを知り、人生観が変わっていくという、ステキな展開に。
ライアン・マーフィは、『glee』でもさまざまなマイノリティを登場させて次々にタブーを破っていくということをやってくれていましたが(あくまでもさわやかに、直球で)、今回、それをさらにエッジの効いた手法で掘り下げています。現実は、単純な図式には決して収まらないし、レイシスト呼ばわりされている人にもその人なりの実存があるし、とか。そして、両者が握手できるようになるためには、辛抱強いコミュニケーションと「愛のようなもの」が必要なのではないかと、問いかけているようです。
30分という短い時間に、実にいろんな見どころが詰まった『New Normal』、これからの展開も楽しみです。