ヘルシンキ港のシンボル的存在、バルト海の乙女が立つ噴水広場
港を振り返る優美な姿が印象的な、通称「バルト海の乙女」。モデルとなったのは、フランスにアトリエを構えていた作者が見出した10代のパリジェンヌだった
恍惚と肩越しに港方面を振り返る裸体の女性のモデルになったと言われているのは、ヴァルグレンが製作所を構えていたパリで出会った19歳のパリジェンヌ、マルクレール嬢とレオニー・タヴィエ嬢。銅像はもともとパリのアートサロンで公開されたもので、好評を博します。そしてその翌年に、ヘルシンキ市がぜひこの作品を噴水広場のメインモニュメントにと誘致し、1908年にヘルシンキにてお披露目されたのでした。のちにヴァルグレン自身が「海から湧きあがるような女性像はヘルシンキ市の象徴でもある」と語ったことから、今日ではすっかり、海辺に発展する爽やかな街のシンボル的存在として定着しています。
毎年巨大な装置を稼働させてまで大々的に行われるアマンダ像の洗浄と着帽の儀式は見もの
■設置場所:エスプラナディ公園(Esplanadin puisto)東端すぐ
■アクセス:ヘルシンキ中央駅から南東方面へ徒歩約10分
繁華街での待ち合わせスポットに、百貨店前の鍛冶屋の男たち
繁華街の中心であるストックマン百貨店の前に位置することから、待ち合わせ場所としてもよく使われる銅像だ
この銅像作品はもともと、C.エンゲルの記念レリーフの製作者でもあるフェリックス・ニュルンド(Felix Nylund/1878-1940)が、1910年代に哲学者ユーハン・ヴィルヘイム・スネルマンの記念碑の設計競技に勝利し、そこに捧げる予定だった作品でした。ところが、あまりにスケールが大きかったため結局実現せず、後に現在の場所に建造されることになった作品に案が流用されたといいます。完成作品がこの場所にお目見えしたのは1932年のことでした。
3人の鍛冶屋というユニークなモチーフは、人々の労働と強調の象徴と語られています。それぞれの人物には、ニュルンドとの親交関係から抜擢された複数のモデルがいるようで、ハンマーを振り上げる男のスケッチには若かりし頃のニュルンド自身のイメージが投影されたとか。ラテン語で碑文の彫られた土台の花崗岩には、1944年の2月にヘルシンキが大空襲に見舞われた際の弾痕が今でも残っています。
■設置場所:ストックマン百貨店(Stockmann)北側
■アクセス:ヘルシンキ中央駅から南方向に徒歩約5分
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