国民叙事詩『カレヴァラ』の編纂に献身したリョンロットを称える像

リョンロット

みずからが編纂した『カレヴァラ』の登場人物に寄り添われたリョンロットの立派な像

エリアス・リョンロット(Elias Lönnrot/1802-1884)は医師であり植物学者であり言語学者……という多彩な肩書きを持つ博学者でしたが、その最大の功績はなんといっても、フィンランドの国民叙事詩として今日まで親しまれる『カレヴァラ』の編纂に身を尽くしたこと。

『カレヴァラ』はもとから一続きのストーリーであったというわけではなく、フィンランドの各地域で伝承されていた話や詩の断片をリョンロットが自分の足で熱心に取材してまわり、さも1つの物語のように編み上げたものだったのです。1835年にその初版が出版されたあとに改定や補強が加えられ、最終版が世に出たのは1849年のことでした。『カレヴァラ』が、「私たちはどんな民族なのか、何を誇りとすべきなのか」という民族意識が高まる当時のフィンランドに与えた影響ははかり知れず、とりわけ作曲家シベリウスや画家アクセリ・ガッレン=カッレラを始めとする多分野の芸術家たちが、この叙情詩をテーマにした作品を数多く生み出し、さらにナショナリズムの風潮をまくし立てていったのでした。

現在、彼の名を冠するリョンロット通り(Lönnrotinkatu)沿いにたたずむ絢爛たる記念碑は、彼の死後1899年にフィンランド文学協会によって設計競技が開かれて、エミル・ヴィクストロムという彫刻家がその制作権利を得ました。 詩作にふけるリョンロットの像の両側に寄り添うのは、『カレヴァラ』の主人公である老人ヴァイナモョイネンと、『カレヴァラ』の詩や歌の象徴とされる乙女。 完成間際になって急遽当初のデザイン案に戻されるなど、ヴィクストロムの10年以上に渡る葛藤と傾注が実を結び、今日の像が完成したのは1902年のことでした。とはいえこの頃はまだフィンランドはロシアの圧政下にあったので、彼のここまで立派な像をヘルシンキ市内に設置することは、市や当事者たちにとっても大変緊張感みなぎることだったようです。

■設置場所:リョンロット通りに面した旧教会(Vänhä kirkko)北側の小庭
■アクセス:ヘルシンキ中央駅から南西へ徒歩約10分


国歌の作詞を手がけた詩人ルーネベリの銅像は、愛息子の渾身の作品

ルーネベリ

毎日多くの人が行き交い、休息するエスプラナディ公園の中心にそびえ立つルーネベリの全身像

エスプラナディ通りの中央にある、立派な彫刻のほどこされた石壇に直立する銅像は、フィランド国歌の作詞を手がけたことで知られる詩人・作家のヨハン・ルードビヒ・ルーネベリ(Johan Ludvig Runeberg/1804-1877)。

彼は、ロシアの圧政下で民族意識の高まりつつあった18世紀に、「父なる国」という愛国意識を鼓舞するための執筆・ジャーナリスト活動に献身しました。特にルーネベリの書く詩は、フィンランドの自然や四季、フィンランド人の日常生活を描写しているものが多く、市民が素朴な生活の断片にまでフィンランドの誇りを見出す意欲を助けたのでした。ちなみに、彼の好物だったというジャムの乗ったマフィンケーキが、後にルーネベリタルトと名付けられて、彼の誕生日である2月5日前後に食べられる風習が今でも残っています。

記念像は、パリで彫刻家として活躍していたルーネベリ自身の息子ワルター・ルーネベリに委託されて1885年に完成したものです。高さ8メートルにもなるモニュメントの頂に立つのが、かつてポルヴォーという街のギムナジウムで小説文学の教師に就任した際の姿を写したルーネベリの像。そして下方にいるのは「Suomi-neito(スオミ・ネイト)」と呼ばれるフィンランド人女性のイメージを引き出した象徴女性で、彼女の手には、ルーネベリが作詞を手がけた国歌「Maamme(マーンメ)」の歌詞が誇らしく刻まれています。

■設置場所:エスプラナディ公園(Esplanadin puisto)内
■アクセス:ヘルシンキ中央駅から南へ徒歩約7分


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