変貌を遂げた“丸の内”

丸の内仲通りのアートオブジェ

丸の内仲通りのアートオブジェ

「伝統は革新のシグマである」。高木茂氏が三菱地所の取締役社長に就任したのは2001年。阪神淡路大震災以後に発覚した、保有ビルの耐震性向上の課題を解消するにあたり、前任の福澤武元会長は「丸の内界隈一帯の新たな街づくり」を掲げた。

福澤氏が構想を描き、高木氏が推進する。2002年新しい「丸の内ビルディング」の竣工を皮切りに、2004年丸の内オアゾ、2007年新丸の内ビルディング、2009年丸の内ブリックスクエア、そして2012年JR東京駅舎も改修が完了。わずか10年の間に、丸の内は大きく生まれ変わった。

住宅情報誌のインタビューで、「僕は住宅のことはわからないから」と遠慮がちに話す福澤氏とは対照的に、高木氏から出たのが冒頭のセリフ。「変化し続けることが、結果として伝統につながる」。この年(2001年)、日本有数の建築設計事務所として知られる設計監理部門を分社化。三菱地所設計として、自立の道を歩むことになる。

分譲事業モデルと社風のギャップ

三菱地所が設計した代表作「広尾ガーデンヒルズ」

三菱地所が設計した代表作「広尾ガーデンヒルズ」

90年代後半。マンション大量供給のさなか、急成長のマンションデベは、事業効率のよさをこう表現した。「用地取得の決済日から、建築確認取得までの平均日数は50日以下」。当時、建築確認は申請から取得まで約1カ月を要した。不動産デフレ下にあって、土地を長く持つことは利益喪失を意味する。回転重視が優先された時代であった。

独自のチェック項目が多く、商品企画に時間をかける大手は、人件費や金利などコストが余分にかかって不利だとされていた。なかでも「三菱地所の品管(品質管理)は厳しい」。地所の設計陣は、石橋をたたいても渡らないといわれたほどで、実際「マンションのフローリングは、音の問題を解決していないのでは?」と、普及がどのデベよりも遅かった印象が強い。

しかし顧客からすれば、厳しい品質管理や新しい商品企画は信頼の証し。ただそれが、価格にはね返らないでほしいという条件付きになるのだが。そして、2000年。大改革が訪れた。トラブル産業と揶揄された住宅業界を抜本的にかえる「住宅の品質確保の促進等に関する法律」、通称「品確法」の制定・施行である。