「写真を楽しむ」から「写真で楽しむ」への拡大
小学校2年生の女の子が撮った写真。この葉っぱを撮りたいと思った彼女の気持ちは? |
---しかし、どうして「写真」なのでしょうか?他の方法でもいいのでは?
たとえば、絵画や俳句、小説などでも、自分を表現し感動を伝えることができます。しかし、ある一定のレベルにまで習熟しなければ、うまく表現できないという「ハードル」があります。見た光景、感じたことを、頭の中で言葉や絵に変換する必要もあり、表現する側も受け取る側も文法などのルールを共有していなければいけません。
その点、写真は機械的に誰でも同じ基準で目に見えるカタチにすることができ、シャッターを押すだけでどんな人でも表現ができます。このような表現手段は、写真を除いて他にないのではないでしょうか。
日本のカメラ技術はすばらしく、プロや上級撮影者の要求に十二分に応えうる高機能な機器が揃っています。一方で、高機能を使わなくても撮れる「普及版カメラやカメラ付ケータイのレベルの高さ」も日本のカメラ文化のすばらしい特徴です。
後者の技術のおかげで、写真そのものを目的とする(作品にする、記念・記録にする)だけでなく、写真を通して他の趣味や毎日の生活をより楽しくしよう、という価値が広がってきているのです。これは、他の表現方法にない、写真ならではの特性ですね。
---高機能を使わなくても表現できるなら、子どもの自己表現にも適していそうですね
子どもにこそ、ぜひカメラを持たせてあげたいものです。子どもが自分で写真を撮り、撮った写真を見ながら改めて眺めてみることで、親は子どもの考え方、興味、行動パターンを改めて知ることができますし、子どもにとっても「伝えたいのにうまく言えないもどかしさ」を解消することができるからです。
自分が撮った写真を題材することにすることで、「情報量格差」(インフォメーションギャップ)において優位者になれるのです。「自分しか知らないこと」を持っていることが、「伝えたい」モチベーションとなり、そのとき感じた思いをイキイキと伝え始めるからです。
また、写真という題材があれば、親も質問をしやすく会話が発展してきます。「○○ちゃんはこんなことが好きなんだね」「どうしてこの写真を選んだの?」と写真を元に語り合うことで、感動を共有し、共感し合うこともできるのです。目の前に「発見の記録」「感動のカタチ」としての写真があるため、話す方も聞く方もイメージしやすくなり、話題を膨らませていくことができます。
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