コンテンツビジネス・プロデューサー

プロフィール

宮地直樹
 
1970年、名古屋市生まれ。有限会社ミヤチ 代表取締役社長。
フリーで、映画、テレビドラマの製作現場を経験した後、アニメーションの製作を手掛ける。それを切っ掛けに、キャラクターコンテンツのプロデューサーとして独立し、会社を起こす。人気キャラクター「すしあざらし」をはじめとして、個性あふれるクリエイターを見い出し、キャラクタービジネスの仕掛人として活躍。クリエイターの育成にも努めている。


独立するまで

・高校卒業後、映画製作を目指して上京。助監督デビューを果すが、なんと無給!
・その後、約3年程、映画、テレビ業界の現場で修行。OJTで製作ノウハウを習得する。
・21才の時、単身アメリカへ遊学の旅に出る。ニューヨークのオープンカレッジで、各国のクリエイターと映画を撮る。
・帰国後、アニメーションの製作会社へ就職。NHKの子どもアニメ番組の製作を担当。
・1998年、28才で独立! キャラクターコンテンツをプロデュースする有限会社ミヤチを創業。

机上で勉強するのがキライだった

---独立系のプロデューサーになられるまでのプロセスをお伺いできますか?

映画が好きで、もともとは映画をやりたかったんです。高校を卒業して、だいたい大学の映像学科へ進学とか考えるところ、自分は、とにかく机の上でやる勉強がキライだった。何でも実際に経験して覚えるタイプなんです。それで、映画関係の会社に知り合いの人がいたので、紹介をしてもらい、なんとかもぐり込んで、助監督につかせてもらった。これが、業界に入った最初です。

初めての映画は、某有名な監督の作品でした。通常、大きな映画だと、助監督が4人ぐらいつきます。チーフ、セカンド、サード、フォースと。自分は、その5番目。フィフスですね。基本的には、給料は無し。でも、とにかく現場を知りたかったので、やらせてもらったという感じです。

助監督というと雑用ですからね。それはもうぼろくそです。殴られ、蹴られということもありましたが、まぁ、そういうのもなんか面白かったですね。とにかく、仕事を覚えることに必死でした。

撮影が終わると、そこで知り合った助監督の人に次の仕事を紹介してもらって、テレビの2時間ドラマの世界へ。フィルムで撮っていたことも多かったんですね。その後も、1つ現場が終わると、また、そこで知り合った助監督やプロデューサーから声をかけてもらって、色々番組をやっていきました。一番長くやったのが、NHKのドラマで2年位。21才になるまでの3年間に、映画やテレビを、とりあえず一通りやりました。

ニューヨークで初めて映像製作の勉強を

ニューヨーク
 
---その後、アメリカへ行かれた目的は?

昔からのハリウッド映画を含めて、海外で勉強したいなぁ、というのがありました。フリーだったので、“ちょっとしばらく海外へ行ってきまーす!”と言っても、“そうか…”ですんでしまいました。あの当時、英語も全然しゃべれなかったけれど、放浪の旅というか、ロスへ行って、ニューヨークへ行って、色んなもの見て歩きました。

観光ビザで3ヶ月までは居られるので、お金が無くなり、ビザが切れそうになると、日本へ戻ってきて、仕事して、またアメリカへ行く。しばらく、その繰り返しをしていました。

ロスよりニューヨークの方が合いましたね。ニューヨークには、スクールオブビジュアルアートとかNYU(ニューヨーク大学)のフィルムスクールとかがオープンカレッジをやっていて、向こうで初めて8ミリとか16ミリの製作の勉強をしました。そこで、スパニッシュや韓国やイタリアや、中途半端な英語をしゃべるやつらと一緒に映画撮ったり。今からすると、考え方も価値観も違う人たちと共同作業をしたというのは、いい経験になりました。


日本のクリエイターには、お金が入る仕組がない

---独立する切っ掛けは?

アメリカへ行ったり、日本で仕事したりを繰り返していたら、知り合いからアニメーションの仕事をしないかという話をもらいました。ルパン三世とかアンパンマンとか作っている、自分が好きなアニメ会社だったので、すぐやることにしました。

この会社は、正社員だったんですが、ここで、キャラクターがどういうふうにビジネスとして成り立っているのか、ということを知りました。これが、現在の仕事への流れの切っ掛けです。

独立する切っ掛けは、この会社から出向で、NHKのアニメ番組の製作を担当することになり、そこで、プロデューサーと喧嘩したことが、独立への引き金といえば、そうですね。

自分でプロデュースをやろうと思ったことには、色んな要因があるんですが、先ず、クリエイターが恵まれていなかったこと。いくら頑張っても、日本のクリエイターって、仕事に見合ったお金が入らない仕組みなんですね。映画もそう、アニメもそう、あれだけ働いてもこれだけしか貰えないという。

その年が、仕事始めて10年目。経験を通して、ビジネスを見る目とクリエイティブを見る目と、自然に養えてきていたので、独立してもなんとかやっていけるんじゃないかと思いました。自分がプロデューサーの立場になって、それで、ちゃんとクリエイターにもお金が入る仕組みができないものかと思ったんです。

自分自身が、優秀だと思えるプロデューサーに出合えなかった。ほとんど、ビジネスだけ考えていて、数字だけで判断。現場が見えない。プロデューサーというのは、「ビジネス」と「クリエイティブ」のバランスが大事です。それを踏まえて、数字に反映させればいい。優秀だと思えるプロデューサーがいないのなら、自分がなろうと思ったんです。そして、ゼロから立ち上げていこうと。


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