恥ずかしかった宮崎出身、今は宮崎のために
「出身地・宮崎に貢献したい」と話す東国原氏だが、10代~20代の頃は、宮崎出身を恥じていたと言う。なんら特色のない地方出身、そして宮崎県都城市の都城なまりが恥ずかしくて人前で話すことすら躊躇していたというから驚く。
しかし、大学の社会福祉概論のレポートで出身地宮崎県都城市の介護保険制度について調べていくうち、様々な問題点が浮かび上がる。そして宮崎県についても自治体のサービスが全国的に低く、県民の生活レベル・大学進学率も低いことが見え、彼は地方自治へと関心を深めていく。
早稲田二文卒業後、再び早稲田政治経済学部に入学した理由
↑東国原知事の人生を変えた早稲田大学 |
早稲田大学第二文学部卒業後は早稲田の専門職大学院公共経営学科で地方自治を学びたいと思っていた東国原知事。もちろん大学院受験の準備を大学在学中から進めていた。
しかし結論から言えば、再び学部生となる。理由は大学院受験日まで時間がなく準備も出来なかったから。早稲田大学専門職大学院ではなく、早稲田大学政治経済学部を選び、受験したのだった。
入試の時点で既に政界入りを視野に
この早稲田政治経済学部入試において、彼が書いた小論文が興味深い。課題は「入学後に学んだことをどのように社会に還元するか?」というもので、それに対し「地方自治を学び、それを実践する」と彼は書いたという。この頃既に東国原氏の頭の中では宮崎県知事への青写真が浮かんでいたのかもしれない。
順風満帆だった芸人生活から一転、あの不祥事~謹慎生活という芸能人にとってどん底とも言えるような経験がなかったら、東国原宮崎県知事の誕生はありえなかっただろう。
そしてその謹慎生活を救ったのは紛れもなく学問、大学だった。人生を再構築する方法として、大学という場を選んだ東国原知事。社会人が大学で学ぶこと、そして人生はいつでもやり直しが出来るということを見せてくれたが、今後、彼が今まで学んだことを社会にどのように還元していくのか、しっかり見守っていきたい。
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