舞い込んだ電気釜の開発
倒産の危機で苦しんでいた中に舞い込んだのが、東芝・家電部門・開発課長山田正吾(1950年中ごろから電気釜の開発をスタート)からの電気釜開発の提案である。これは倒産の危機を乗り越えるチャンスだと思い開発に着手した。しかし実際に試作してみると自動での炊飯は簡単にはいかなかった。工場や自宅を抵当にして銀行から融資を受け、大量のお米を買い試作を繰り返した。実験の結果、おいしいご飯を炊くのに火加減を変える必要はなく、強火で一定の火力で炊き上げれば良いことがわかった。つまり沸騰してから強火で20分間加熱するば良いといえる。さっそくタイマーを内蔵した電気釜を試作するが、結果は思ったようにはいかなかった。
お米の量や水の量さらには気温の高低によって、沸騰するまでの時間が異なる。単純なタイマーの設定では、芯のあるご飯やお焦げができてしまうのである。釜に湯気が立ちはじめる時点を検出して20分後にスイッチを切る必要があるがどうやるかである。新しい発想が求められた。
試行錯誤の末、生まれたアイデア
試行錯誤を繰り返して生まれたのが、「二重釜間接炊き」という方法である。二重鍋の外釜にコップ一杯ほどの水を入れ加熱する。水が蒸発して外釜の水がなくなると急激に温度が上昇するので、ここでサーモスタット(温度検出スイッチ)により電源をオフにするようにしたのである。妻が倒れるといった問題を抱えながら、ついに3年後、1955年12月10日電気釜は完成され東芝から発売される。この定価は3,200円であった。これは当時の大卒初任給の3分の1に相当する高価なものだ。(1955年の平均月収=18,343円[労働大臣官房労働統計調査部調]のデータもある)。
そして次ページのように技術のイノベーションは進む。