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無名の技術者がノーベル賞級の大発明、中村修二氏の功績(2ページ目)

今回は高額の特許訴訟で話題を読んだ中村修二氏にフォーカスし、青色発光ダイオード開発までの苦労話に迫りたい。人に教えるのは苦手、やりたいのはモノを作ることの思いから、当初は米国企業への転職を考える。

執筆者:木村 勝己


半導体業界の常識を破る

この定説を覆したのが、半導体とは縁のない企業の研究者である中村修二氏であった。大手半導体メーカーが開発にしのぎを削っても出来なかったことを、無名の技術者がやり遂げたことの衝撃も大きい。当時半導体業界はセレン化亜鉛での開発が主流で、窒化ガリウムでの発光は不可能だろうと言われていた。この無謀ともいえる材料に中村氏は挑戦した。

半導体の研究者がまったくおらず、予算も少なかったので、いろいろ調べながら試料製造に必要な設備をすべて自分で作ったそうだ。当時の社長に直訴し億単位の開発費を得たそうである。半導体業界の常識に捕らわれていなかったこと、知らなかったことが、無謀とも言える研究を続けられた要因とも言える。

転職は米国企業か大学か?

1999年12月に日亜化学工業を退職した。10月頃には、高出力青紫色半導体レーザの開発にもめどがたち、管理的業務が多くなったことも退職の理由という。「生活の安定を思えば、会社に残っている方がいいし楽であったと思う、しかしやることがないのに会社に残っていたら“アホ”になるだけだ」と雑誌の対談では語っていた。

退職の翌年の2000年2月にカリフォルニア大学サンタバーバラ校材料物性工学部教授に就任した。人に教えるのは苦手、やりたいのはモノを作ることとの思いから、当初は大学よりも米国の企業への転職を考えていた。5社位からの勧誘もあり、中にはトッププロ野球選手並みの条件もあった。米国の大学から転職の勧誘があったとき、断ろうとした中村氏を後押ししたのは家族の応援であったそうだ。

大学からの給与は9カ月分しか出ず、残りの3カ月は国や軍や企業が興味をもちそうなテーマを選び、自ら調達するそうだ。米国では大学の教授には研究だけでなく金集めの才覚も要求されるという。

そして新たに次ページのような国際研究チームによる成果が出ている。
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