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無名の技術者がノーベル賞級の大発明、中村修二氏の功績

今回は高額の特許訴訟で話題を読んだ中村修二氏にフォーカスし、青色発光ダイオード開発までの苦労話に迫りたい。人に教えるのは苦手、やりたいのはモノを作ることの思いから、当初は米国企業への転職を考える。

執筆者:木村 勝己

結局最後に勝つのは、考え抜いた末に生まれる“独創性”とやりぬく”粘り”を持った人間
 

青色発光ダイオードの発明者・中村修二氏

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街を彩るイルミネーションに、青色発光ダイオードによるブルーの光りが輝く!
現在の豊かな日本の元となるような、商品やサービスを作り上げた団塊世代へのフォーカス第3段。今回は高額の特許訴訟で話題を読んだ中村修二氏にフォーカスし、青色発光ダイオード開発までの苦労話や秘話に迫りたいと思う。

中村修二氏は現在カリフォルニア大学サンタバーバラ校の教授である。20世紀中は不可能とまでいわれた青色発光ダイオードを、1995年に世界で初めて実用化した。このときの発明への対価が少なすぎるとして青色発光ダイオードの発明時代の古巣である日亜化学工業を相手に訴訟を起こした。この訴訟は、発明対価として、一時200億円の判決が東京地裁より出され、産業界に衝撃を与えた。

職務発明は会社に帰属

特許は誰のものか、これは発明者のものである。特許法により明確にうたわれている。ただ職務発明の場合はその権利が会社に帰属するのが殆どである。これは中村氏の一連の訴訟における判決の中でも明確に出された。ただ特許法でいう、会社に権利を譲渡する場合の「相当の対価」がいくらが妥当かが先の争点であり、話題になったところだ。

中村修二氏は1954年5月22日、愛媛県生まれである。1979年 徳島大学大学院の修士課程を修了し,同時に日亜化学工業株式会社に入社した。ここで生まれたのが青色発光ダイオードの発明である。

そもそも発光ダイオードの発明は、1962年米GE社ホロニヤック博士によってなされている。これは赤色発光のものである。その後、黄色や緑色などの発光のものが開発されたが、波長の短い青色のものは20世紀中の開発は無理だろうといわれていた。

しかし、この定説は次ページのように打ち砕かれる。
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