テレビの対米輸出攻勢
前回の破壊的イノベーションの脅威・上から見ると、日本の右肩上がりの経済成長は、欧米の企業へ破壊的イノベーションを起こしてきた結果といえる。テレビの日本からの対米輸出は60年代後半から急増し、75年以降は米国メーカーに対し生産性で大きなリードを成し遂げる。これはオール・トランジスター化への対応やIC化を積極的に進めたことや、組み立てラインの自動化でも先行してきた成果といわれる。これは破壊的イノベーションが動いていたときである。
この時期、アメリカの労働賃金は日本に比べてはるかに高く、RCA、ゼニス、アドミラルなど多くの企業は、海外へ工場をシフトしていた。円が1ドル=360円の時代だ。
反ダンピング法による訴訟
日本の輸出増加による大幅な対日貿易赤字への苛立ちは、日本から輸入されるカラーテレビに対して、ダンピング訴訟という形で火を吹く。1968年、米国電機工業会(EIA)は、反ダンピング法にもとづいて日本製テレビ(日立、東芝、三菱、松下、三洋、シャープ、ソニー)を提訴する。これは後年、米国第2のテレビ・メーカーであったゼニス社による訴訟に引き継がれ、史上最大のダンピング事件に発展した。
大量失業への苛立ち
その後、アメリカでは家電産業が消滅をしていくことになる。最後にゼニスという一社が残ったがそれも撤退に追い込まれ、1995年には韓国のLG電子の傘下に入ることとなった。自動車業界も深刻な打撃を受け、大幅なリストラを強いられた。大量の失業者が生まれ、ジャパン・バッシングといった形に表れる。自動車工場地帯のデトロイトでは、日本車をハンマーでメッタ打する労働者のニュース映像が、米国の苛立ちを露にしていた。
しかしこのような出来事は他人事でない。次ページのように日本が同じ立場に立たされようとしている。