屋井先蔵の少年時代
屋井先蔵は1863年、新潟県・長岡市の生まれである。早くに父を亡くした屋井は、13歳で東京の時計店に丁稚として働くことになる。しかし仕事はきつく体を壊し、1年で長岡に戻ることとなった。
その長岡でも15歳から約7年間、時計店ではたらいている。屋井の発明活動はこの頃からのようだ。物理学の理論では不可能とされているのだが、「永久運動機械」の発明研究を続けたようだ。当然成果は得られていない。
電気時計の発明研究
その後再度上京して、文房具会社に勤めることになる。これは22歳の時であった。この頃、海外からは一部が電気で動く電気時計が輸入されていた。
時計職人だった屋井はこの電気時計をみて、全てが電気で動く電気時計を作りたいと思い、勤めを終えた夜に発明研究を続けた。
そしてバネを全然使わない連続電気時計を完成させたのである。しかし、使用していた液体電池の取扱いの不便さから、この連続電気時計は殆ど売れなかった。
ついに乾電池の発明
そこで屋井が考えたのが液体を使わない電池である。寝食を忘れての発明研究の結果、ついに乾電池を発明したのである。1885年のことだ。
これを連続電気時計や医療器具に使った結果が好評であったため、屋井乾電池合資会社を設立する。屋井が23歳の時であった。
しかし、この乾電池は故障の連続であったようだ。屋井の乾電池は電解液を布のようなものに染み込ませて使うものであったが、この電解液が陽極に染み出て腐食させるため直ぐに使えなくなることであった。しかし努力の結果は次のような展開を見せた。