視点2:部下を“モノ”ではなく“ヒト”として扱っているか?
目に見えるテクニックや質問集だけでは十分でないとすれば、さらに何が大事なのでしょう? それは、コーチングの対象となる相手、上司がコーチであるとすると部下をどう見ているか? その見方です。●自分の思い通りになる“モノ”としてみているか?
●自分の思い通りにならない“ヒト”としてみているか?
従来の指示・命令型のマネジメントでは、部下は上司が自由に使える“駒”、すなわち自分の思い通りになる“モノ”として扱われてきました。しかし、だんだんと指示・命令では部下は思うように動く時代ではなくなってきました。そこで、新しいマネジメント、コミュニケーション手法として、コーチングが注目されているのでしょう。しかし、そのときにコーチングの捉え方として、二つの方向に分かれます。
一つは、これまでどおり、部下を自分の思い通りになる“モノ”ととらえ、指示・命令に変わる操作技術として、コーチングをとらえる方向です。質問をしたり、話を聞くふりをしたりしながら、部下を上司が思う方向に持っていこうとする。誘導技術としてのコーチングです。
もう一つは、部下を“モノ”ではなく、自分の思い通りにならない“ヒト”としてとらえる方向です。部下を上司の思い通りに操作することを手放し、一つの独立した人格として認め、自ら考え、意思決定し、行動する存在としてかかわっていく。サポート技術としてのコーチングです。
パターン化、わかりやすさを求めるワナ
実は、世間のコーチング本の多くが伝えているのは、誘導技術としてのコーチングです。部下のタイプ別対応方法や、状況に応じた質問をまとめ、「こうすれば部下はこうなる・こう動く」として、部下を一つの“モノ”としてとらえたものがかなりあります。そのとおりになる場合もありますが、相手が生きている“ヒト”である以上、思い通りにはいきません。そして、あなたが部下の立場になってみてください。“モノ”として扱われるのか? “ヒト”として扱われるのか? どちらがいいですか?
実はコーチングの本質はここにあると私は考えています。相手、つまり部下を独立し、自立した“ヒト”として扱うことがコーチングの大前提なのです。部下を“モノ”として思い通りに扱おうとする誘導型のコーチングは、私の考えるコーチングとはズレています。
ただ、多くの本の著者の名誉のために言っておくと、著者の意図としては、部下を誘導する技術として書かれたわけではないと思います。相手をサポートしようという意図のもとでのかかわりのなかで、自分がやってみてうまくいったパターンをまとめられたものがほとんどでしょう。しかし、パターンとしてまとめようとすると、どうしても、「こうすれば部下はこうなる・こう動く」というカタチになってしまいます。このサイトの記事を書いている私にしても、そのワナに陥ってしまいがちです。
また、読者もそういうわかりやすいものを求めます。部下という“ヒト”に対しても、「こうすればこうなる」と予測可能な方法を求めがちです。あなた自身、もしそういった方法があればうれしいでしょう。その中で、ついつい部下を“ヒト”ではなく、“モノ”扱いしてしまう傾向が出てくるのは仕方ないかもしれません。ただ、著者の意図はどうであれ、読者が部下を自分の思い通りになる“モノ”だと勘違いしそうな本は外しました。
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