アブシンベルに込められたラムセス2世の想い ―カデシュの戦い―

アブシンベルはUNESCOの救済キャンペーンによって救われた遺跡。上半身が崩れている左から2番目の像は移転前から崩れており、その崩れ具合まで再現された

アブシンベルはUNESCOの救済キャンペーンによって救われた遺跡。上半身が崩れている左から2番目の像は移転前から崩れており、その崩れ具合まで再現された

ラムセス2世は建築王と呼ばれ、アブシンベルの他にもカルナック神殿、ルクソール神殿(いずれも世界遺産)など、多くの神殿をいまに残す。神殿には神との儀式の様子などが多数描かれているが、ラムセス2世を特に有名にしたのがカデシュの戦いとネフェルタリ像だ。

カデシュの戦いで、戦車に乗って敵を蹴散らすラムセス2世のレリーフ。同様の勝利のレリーフはルクソール神殿などでも見ることができる

カデシュの戦いで、戦車に乗って敵を蹴散らすラムセス2世のレリーフ。同様の勝利のレリーフはルクソール神殿などでも見ることができる

当時中東地域は小アジア(現在のトルコがある辺り)のヒッタイトと、古代エジプトの2強国によって統治されていた。ヒッタイトは、最新の騎馬・戦車戦術や、世界ではじめて鉄の生産・実用化に成功して鉄器を持ち、すでに民主主義的性格を有する法典まで作っていた、当時世界最先端の多民族国家だった。両者の抗争はラムセス2世の統治以前からシリア周辺でたびたび行われたが、紀元前1280年頃、決定的な戦闘が起こる。それがカデシュの戦いだ。

アブシンベルにはカデシュでヒッタイトの軍勢を蹴散らすラムセス2世の様子が派手に描かれているが、世界遺産にも登録されているヒッタイトの首都ハットゥシャから出土したボアズキョイ文書によると、エジプト軍は終始劣勢で、ラムセス2世は命からがら逃げ延びたというのが事実だったようだ。停戦の約10年後、ラムセス2世はヒッタイトから妃を迎え、両国は世界で初といわれる平和条約を結んだ。