雨なのに陽気な春の昼時
21クラブのバー・ルーム。天井には玩具がずらりと飾られている。 |
1933年4月7日、雨に煙るワシントン。ペンシルベニア・アヴェニュー1600番地、つまりホワイトハウス、その前は春雨にもかかわらず大群衆で沸き返っていた。
正午を4分ほど過ぎたところにトラックが近づいてくる。群衆はいっせいに“Happy Days are Here Again”(めぐりくる幸せの日々)を歌いだす。そのトラックはビール醸造所からやってきた。載せていたのは木箱ふたつ。車体には「ルーズベルト大統領、謹んで最初のビールを贈ります」と書かれていた。
この時点でゆるされたのはビールのみ。それでも歓喜に価するに十分だった。翌34年に29州で禁酒法解除。最後まで残った禁酒州はミシシッピ州で1966年にやっと解除されている。ただ地方選択権があり、地方管轄の郡や町ごとに規制を設けているドライ・カウンティがいまだに多い。
その典型がテネシーウイスキーのジャック・ダニエルのふる里リンチバーグ。
ここはたしかいまでも他からの旅行者にしか酒の販売を許していないはずだ。テネシー州はその昔、他の州での販売を目的とするウイスキーに限り製造を許可するという規制を施行したが、それがいまだに残っている。
J.D.という世界的なウイスキーを生む地がドライ・カウンティであることは奇妙で可笑しくて、なんだかそれだけでこのウイスキーを愛してあげたくなっちゃう。
歴代大統領が訪れるクラブ
さて、この禁酒法下で名を挙げたSPEAKEASY(スピーキージー/もぐり酒場)がある。ニューヨークの21クラブだ。1929年創業のこの店は各界の要人を顧客に持つ老舗として知られる。オバマ大統領はいまのところわからないが、フランクリンから前ブッシュまで歴代のすべての大統領がここを訪れている。
ジョン・カール・クリンドラーとチャールズ・バーンズのふたりの青年がグリニッチ・ヴィレッジで、レッド・ヘッドという店を開いたのがはじまり。禁酒法下、政治家にわたりを付け、警察署長には友情の証として時に50ドルを、警官には葉巻を贈った。
店名を毎年のように変えたり場所を移ったりしながら監視の目を逃れていく。
フレンチ、イタリアンといった料理と酒で次第に評判を高めるが、いつまでも手入れを受けない訳にはいかない。司法次官じきじきに呼び出される。ところがこれが功を奏したのだった。
(次頁へつづく)