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日本のウイスキーづくり80周年、情熱の時代 ひとりの男の魂が宿った、傑作

80年前。日本にはウイスキーの需要などなかった。ひとりの男が「需要はつくればいい」と立ち上がった。不評、資金難。辛酸をなめつつも男はブレンドを繰り返す。そこから時代を超えて愛されつづける傑作が誕生した。

協力:サントリー
達磨 信

執筆者:達磨 信

ウイスキー&バーガイド

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誰もが反対したウイスキー事業

米一升25銭、タバコのゴールデンバット7銭、理髪30銭、ビール大瓶30銭という時代に、日本初の本格ウイスキー『白札』が誕生している。1929年(昭和4年)のことだった。
この頃、まだ珍しい存在だった大学卒のサラリーマンの初任給が50円。月収40円もあれば夫婦と子供ひとりの3人家族がつつましやかに生活できた。

ところが国産第一号、サントリーウイスキー『白札』は1本4円50銭。一般家庭の月の生活費の1割を占める価格だった。
ウイスキーはかなりの贅沢品といえた。輸入スコッチの中で入手しやすかった『ジョニーウォーカー赤』でさえ1本5円はした。ウイスキーはごく一部の上流階級の酒。舶来品として有り難くいただく時代だったのである。

そんな時代に、なぜ、という疑問が湧く人もいるだろう。需要などまったく見込めないのに、どうしてウイスキーなんぞつくったのか、と。

1923年(大正12年)10月。寿屋(現サントリー)が日本初のウイスキー工場、いまのサントリー山崎蒸溜所の建設に着手した。これが日本のウイスキーづくりのはじまり、第一歩であり、昨年80周年を迎えている。

なぜ、に挑戦したのは寿屋の創業者、鳥井信治郎だった。
当時、本格的なウイスキーづくりはスコットランドやアイルランド以外の地では不可能だと考えられていた。何よりも莫大な予算がかかる事業だった。蒸溜所の建設の資金、大麦を仕込んで蒸溜した後の貯蔵熟成の間の資金など計り知れない。品質の善し悪しも長い年月を経なければわからない。
そのリスクの大きさに寿屋の社員はもちろんのこと、信治郎が信頼する財界人や学者までもが反対した。それでも彼はウイスキー事業へと立ち向かっていった。

鳥井信治郎が挑戦をはじめた1923年は第一次大戦後の好景気による反動が起こり、不況がつづく深刻な経済状況の最中だった。嗜好品を愉しむ余裕すらない混乱の時ともいえた。
ただ信治郎には唯一の救いがあった。『赤玉ポートワイン』。この『赤玉』の売れ行きが順調で、その利益を投資できた。おそらくウイスキーもまた『赤玉』と同じようにやがて日本人に受け入れられる日が来ると、信じて疑わなかったのではなかろうか。洋酒の時代が必ず来ると。

その頃、同じ大麦からつくるビールはすでに大衆酒となっていた。酒といえば日本酒だったが、カフェの興盛も手伝って数字は年々伸びていた。
ビールは明治初期には外国人の手によって日本でもつくられはじめ、技術が伝わり中期にはたくさんの醸造所が生まれた。それでも市民の舌に馴染んでいったのは明治末近くになってからのこと。当初は苦くて砂糖を入れなければ飲めない酒といわれていたほどだ。
ビールも時間をかけて浸透していった。ウイスキーだって、との願いも信治郎にはあったはずだ。

1923年は関東大震災に見舞われている。東京は江戸の香りを濃く残していた町並みが崩壊し、否応なく新しい都市文化を創造するしかなかった。
だがこれが結果的に1920年代のニューヨーク、ロンドン、パリ、ベルリンといった“カフェの時代”と呼ばれる都市文化の発展と歩調が合ってしまうのだから、歴史とは何とも不思議なものだ。
また不況といっても東京や大阪のカフェではビールやリキュールを嗜む土壌が着実に醸成されていた。
こうした時の流れも信治郎は読み取っていたのかもしれない。
写真/鳥井信治郎
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