日本人カヴィストの誕生

林秀樹氏は鹿児島の出身で、身近にアルコールがある家庭で育った。高校で実存主義に興味を持ったことから大学では哲学を専攻し、大学を休学して1980年からパリに留学してフランス語とヴァイオリンを学ぶ。卒業後に再渡仏して、フランス人に日本語を教えるなどしていた。

1986年のことである。トゥール・ダルジャン本店の副支配人そしてメートル・ドテルが、サービスに役立てるため日本語を習いに通っていた。講義の合間に交わした会話から、彼らは講師の林氏が料理やワインに興味があることを知る。講座が終わる頃、林氏はトゥール・ダルジャンでの昼食に招かれた。

経歴について淡々と語る林氏。ワインへの情熱が道を開いた

ランチの後に地下のワイン貯蔵庫を案内された彼は、暗く深い闇の中に横たわる無数のボトルを見る。自分が求めているのはこれだ、というひらめきを感じた彼は数日後に手紙を書き「カーヴで働きたい」と訴える。当時、外国人従業員はまれだったが人柄を知ってのことだろう、願いは受け入れられた。

しかし、正式な就労に必要な労働許可の申請は難航した。申請が裁判につながり、上告した最高裁で不受理となった後も店側がミッテラン大統領に手紙を書くなど手を尽くし、1992年にやっと労働許可証が発行された。それまでの6年間、彼は不安を感じながらもトゥール・ダルジャンで働きつつ経験を積んだという。