六安瓜片の歴史
古い歴史のある十大名茶、六安瓜片
安徽省のお茶は、古く四川省からもたらされ、この六安では後漢献帝頃の1~2世紀頃に栽培がはじまり、唐代にはお茶が製品として販売され魯国で売られていたとされています。
陸羽の『茶経』では、この地域のお茶が「寿州茶」として記載されています。わざわざ皇帝が兵をだしてこの地を押さえたほどの茶の産地だったと言われています。
そのような古い歴史の安徽省のお茶のなかで、さらに「六安瓜片」は古いお茶の一つ。その商品としての歴史は、唐代まで遡ります。
唐代の有名な詩人、李白はその市の中で「揚子江の中の水、斉山頂の上の茶」と讃えています。まさに、この斉山のお茶こそ、冒頭で記載したとおり、この六安瓜片なのです。
また、宋代には「精品」の誉れ高く、明代の初期まではそのほとんどの茶が献上茶とされたといわれます。
明代の『詠六安茶』には、六安の茶が何度も登場しますし、『茶箋』には「六安瓜片茶は薬効が高い」と歌われ、同じ時代の『農政全書』でも、最高級品のお茶として紹介されています。
清の時代には「貢茶」とされ、慈喜皇太后は月に700グラムも飲んでいたともいわれるほど、人気のお茶になりました。そのため、清代に書かれた『紅楼夢』にも登場するほどのお茶になっています。
民国以降、戦争や内戦、文化大革命で一旦すっかり荒廃してしまいましたが、この地区を再度売り出したいと考えた茶荘が復興したため、再び復活し、中央軍事委員会指定茶になったり、1971年米国の元国務長官が初めて訪中した際に贈答品に使用されるなど、中国を代表するお茶となっています。そのため、1982年に全国銘茶評審会で全国銘茶称号を受賞し、1988年には全国食品博覧会で金奨に輝いています。