唐代に示された効能
再飲清我神、忽如飛雨洒軽塵
また、陸羽より少し後の人ですが、唐代の皮日休(ひじつきゅう)は、『茶中雑咏』という書物の中で、「陸羽の『茶経』に従って飲んだ人の病気が治ったので、茶は医者より病気の治療に効果がある」と記載しています。
唐代から様々な効能があることが示され、また広く茶が飲まれるようになった唐代以降、茶が人々にもたらすメリットや効能が実証として示されるようになっていきます。
さらに、陸羽と深い交流があったといわれる僧侶 皎然は、『飲茶の歌・崔石使君を誚む』で
「一飲滌昏寐、情思爽朗満天地。再飲清我神、忽如飛雨洒軽塵。 三飲便得道、何須苦心破煩悩。」
(一杯飲めば眠気が覚め、身も心も爽やかになって、天地に満ちている。二杯飲めば自分の心が清らかになり、まるで雨が塵をあらったよう。三杯飲めば物事の道理を知ることが出来て、すべての悩みを苦労せずに追い払うことが出来る。)
と歌っています。
これなどは、同じ唐代の詩人盧仝の友人孟諫議に送った手紙の中に書き記した有名な『七碗茶歌』とまったく同じに茶の効能をうまく言い表しています。
ちなみに、七碗茶歌は、
「一碗喉吻潤。兩碗破孤悶。 三碗搜枯腸,惟有文字五千卷。 四碗發輕汗,平生不平事,盡向毛孔散。 五碗肌骨清。六碗通仙靈。 七碗契不得,惟覺兩腋習習輕風生。蓬莱山,在何処?玉川子乗此清風欲帰去。 」
(一碗飲めば咽喉の渇きを潤し、二碗を飲んだら、淋しさと欝を取り除く(孤独さがなくなる)。三杯目を飲めば、干涸びた腸を探し、五千巻の書物を書きたい気分になり、四碗を飲めば、軽く汗が出て、今までの不平不満が毛穴から抜け出し、気分がすっきりする。五碗を飲めば全身の肌や骨まで清らかになり、六碗を飲めば仙界の仙人となり、七碗のお茶を飲まなくても、 両わきから清風が吹き抜けていくのを感じる。蓬莱山は、いったい何処にあるのだろう。玉川子はこの清風を乗って帰るのだ)
と書かれています。
もちろん、この手紙は、単純な茶礼賛の歌ではありませんが、この部分だけを読むと、お茶に発汗作用があり、いかに気分を高揚させるかをうまく表現していますね。