新茶の季節ですが、皆さんはいろんな新茶をすでに口にされたでしょう。今年の中国緑茶はどれも出来の良いものが多かったように思われますが、その中でも個人的になかなか良かったと思われた径山茶を今回は取り上げて見ることにしました。

径山茶とは?

径山茶はその名のとおり、中国浙江省余杭市の近郊、臨安県にまたがる天目山東部凌雲峰一帯、東北峰の径山(770m)にある径山寺で作られるお茶として知られています。非常に深い緑色の細長い茶葉が特徴で、グラスで湯を注ぐとその華奢な茶葉がゆっくりと開き、とてもキレイ。しかも日本の緑茶のような味わいは、中国緑茶を飲みなれない方にもとっつきやすい、中国緑茶入門茶ともいえるお茶なのです。

径山香茗、徑山雲霧といった別名を持つこのお茶は、中国の現代の書物には、「葉は嫩く外形繊細にして繊毛あり、翠緑色で香り爽やか。茶湯は味まろやかで翠緑色をなし透明。」と非常に良いお茶として記載されています。

この径山茶は日本茶とも深い関係があり、私たちの口にもなじみやすいお茶なのですが、それもそのはず、名前の由来になっている径山寺は、古くから日本との関係が非常に深いお寺だったのです。

径山寺と日本の関係って?

径山寺は、唐の時代に初めて建立され、南宋時代に「五山十刹」のトップとなった古い名刹で、昔から禅の修業のために日本からも何人もの修行僧がここで学んだといわれています。そのため、日本仏教の臨済宗の発祥地とも言われています。

これらの禅僧たちは、古くからいろんなものを中国から持ち帰りました。たとえば、鎌倉時代には、「覚心」が径山寺で修行中に醤(ひしお)製法を学んで帰り、紀州の興国寺で製造をはじめたのが、「醤油」のはじまりだったといわれます。

さらに、もちろん、お茶もここから日本に入ってきています。日本茶の祖といわれる栄西も、この余杭に一時期滞在したといわれ、また、その後大応国師(だいおうこくし 別名、南浦紹明(なんぽじょうみょう))は、宋(中国)から帰朝の際、この径山寺から茶の臺子(茶の湯で用いられる棚)などの茶道具一式を持ち帰って、中国の茶の方式を大徳寺(京都)に伝えたといわれています。

径山寺では、古くから「茶宴」と呼ばれる僧侶の開催する茶道会が開催されていたといいます。室内に名人の書画が飾られ、また新鮮な花を生け、茶を仏像にささげた後、香りを聞き、色を楽しみ、味を鑑賞し、そして批評しあったと言われています。この茶宴は、大応国師などによって日本に伝えられ、茶道の原型になったとも言われます。

径山茶の歴史

このように日本と非常に縁の深いお寺で作られるお茶ですが、このお茶の歴史は非常に古く、747年(唐代)に径山寺の僧侶法欽が数株の茶樹を境内に植えたのが始まりと言われています。

宋代には「径山では穀雨前に銘茶が摘まれる」といくつかの書物にも登場するお茶として知られ、清代の書物には、1235年(宋代)に日本の国師が茶の栽培などを学んだという記載も登場します。その後さらに先にご紹介したとおり、大応国師も1259年に径山寺で禅を学び、茶道具を持ち帰ったという記載も残されています。

元、明、清代にも、その名声は全国に響き渡り、杭州の6大銘茶(龍井、天目茶など)の一つとして知られていました。残念ながら清代末期に径山寺が荒れ果ててしまったために、その後長い間径山茶は途絶えてしまったそうですが、余杭一体では、細々と茶作りは続けられていました。1978年に余杭県農業局がこのお茶を復刻し、1979年には中国農業庁主催の全国銘茶コンテストに出品され賞を受賞し、その名声を復活させました。その後も、1982年には浙江省銘茶に指定され、85年に全国良質農産品、87年に浙江省「最佳名茶」、91年には国際茶文化節で「中国文化名茶」に指定されています。