中国茶の歴史を辿っていくと、まずは、神農(しんのう)という名前が出てきます。唐代に初めて茶の総合的な書物として陸羽が著した『茶経』には、七之事(第七章、茶の史料)の冒頭で「三皇。炎帝神農氏。」(三皇では、炎帝の神農氏。)と、神農の名前を真っ先に挙げています。この神農という人物はどうして中国茶や喫茶の根源だといわれるのか、今回はそんなことを追ってみることにして見ましょう。

神農の素性

神農図(三光丸クスリ資料館所蔵)

まずは、神農の素性を追うために、『茶経』に掲げられた三皇について、調べてみましょう。

中国歴史書である『史記』において、夏や殷以前の神話として三皇五帝が出てきますが、一般的には三皇は神である三人の人物(あるいは性格)を掲げ、五帝はさらに5人の聖人としての人物(あるいは性格)を掲げています。

合計8名のそれぞれに誰を掲げるかは、諸説あるようですが、唐代にこの『史記』を補った「三皇本紀(補三皇本紀)」以降の歴史書には「伏羲」、「神農」、そしてもう一人は女[女咼]、黄帝、祝融、燧人など何人かの人が当てはめられる場合があります。

つまり、神農は神話の三皇の一人であるということです。この三皇がなぜこのように名前を連ねるかというと、それぞれ歴史的文化に大きな影響を与えた神ということで崇め奉られたというわけです。

神農はその名のとおり、農業の神様として中国神話に登場します。『易経』の中には、三皇の冒頭に掲げられる伏羲(記犠(ほうぎ)氏)が、天地自然の造型を観察して卦を作り、神明の徳に通じ、万物の姿を類型化したとあり、創造の神とされているのに対し、神農以降の三皇五帝が順に興り、卦にもとづき人間社会の文明制度を創造し他とされています。特に神農は、農耕や交易を教えたのだといわれます。

漢代になると、神農にはさらにもう一つの徳が加わります。すなわち火徳(五行思想による5つの天性のひとつ。つまり炎をつかさどる神の徳)をもって王となったことから炎帝とも呼ばれるようになりました。

通常人間の身体に牛の頭を持っているといわれ、図や像で表される場合は、長い髯、木の葉で作った衣、腰蓑といった特徴をもった男性像とされることが多く、頭に短い角が描かれるのが普通ですが、省略されることもあります。

さて、この神農は先に紹介した「補三皇本紀」に多少のプロフィールが紹介されています。

それによると、烈山(今の湖北省)の姜水という川のほとりで生まれ成長したために姓を「姜」とし、木を切って鋤を作り木をたわめて鋤の柄をつくり、鋤鍬の使い方を広めて耕作を教えたため、「神農氏」と号したとされています。また、油性の木を束ねて火をつける「松明」を発明したため「炎帝」と呼ばれたとされています。

また、彼は天文家であり、伏羲氏が創作した易占の八つの卦に基づき、六十四卦をつくり、五弦の瑟をつくり、また多くの人が物を生産しすぎたのを見て、余ったものを一箇所に集めてお互いに交換するようにしたために、市場の形態が生まれたともいわれています。

彼は当初陳に都をおき、のちに曲阜へ遷都したといわれ、王位について百二十年で崩じ、その後黄帝に取って代わられました。神農は死んだ後、湖南省長沙に葬られ、そのお墓は今でも炎帝陵と呼ばれ現存しています。

おそらく、このような記述を現在の常識から判断すると、神農はおよそ5000年程前の古代文明における姜という部落の首領だったのでしょう。



神農図は株式会社三光丸本店・三光丸クスリ資料館館長 浅見 潤さんからご提供いただきました。