名茶とはなにか?
顧渚紫笋茶 |
「名茶」とは、日本では一般的には「良いお茶」、「有名なお茶」、「希少価値のあるお茶」などと考えられることが多いのですが、本場中国では「名茶」の定義について、著名な研究者がさまざまな見解を示しています。
そのため、中国茶の各種教科書を紐解いてみると、必ず冒頭部分に「名茶」の説明が行われていて、様々な説がそこには展開されています。
その中で、一般的な名茶の条件を掲げてみると以下のとおりです。
- 歴史的名茶であり、現在まで存在していること。
- 各名茶品評会等で優良な成績を収めていること。
- 内外で経済価値が認められ流通していること。
- 特殊な味、香り、外形をしており、特に一部の消費者に好まれていること。
- 価格が高いこと。
- 茶樹の品種が自然環境に適合しており、茶葉が優良な品質を有していること。
歴史的名茶
黄山毛峰 |
過去、それぞれの時代で「名茶」と呼ばれるお茶が存在しました。その多くが皇帝に献上された「貢茶(こうちゃ)」と呼ばれるものです。
もっとも早い時期に貢茶として茶が書籍に掲載されるのは晋代(しんだい)武王(ぶおう)の時代(紀元前1120年)のことでした。『華陽国史・巴志』(かようこくし・ともえし)という書物で「桑、麻、銅、鉄」とともに茶が献上品として記載されているのです。また、東晋の元帝が茶を一千斤献上させたというような記載も出現しています。しかし、この時代、具体的な茶名はまだ見当たりません。
唐代まで時代が下ると、皇帝の李亨(りりょう)(756年~762年)に陽羨茶(ようせんちゃ)を献上茶にしたという記録が現れます。陽羨茶とは、茶壷の産地である宜興のある地域で作られていたお茶であり、今でも「陽羨雪芽(ようせんせつが)」というお茶が有名です。
六安瓜片 |
宋代(960年~1279年)になると、さまざまな献上茶が作られ、官営の茶園も創業し、銘茶の数が増えてきます。現代に残っている有名な茶としては、紫陽茶(しようちゃ)、信陽茶(しんようちゃ)、紹興日錢(しょうこうにちせん)(=平水珠茶:へいすいたまちゃ)、洞庭山茶(どうていざんちゃ)(=碧螺春:ぴろちゅん)などが掲げられています。
さらに、明代(1368年~1644年)になると、散茶がメインになりますが、六安茶(ろくあんちゃ)、武夷岩茶(ぶいがんちゃ)、盧山雲霧茶(ろざんうんむちゃ)、普陀仏茶(ふだぶっちゃ)、蒙頂石花(もうちょうせっか)などが名茶として掲げられています。
清代(1644年~1912年)には、乾隆帝(けんりゅうてい)、康熙帝(こうきてい)などお茶好きの皇帝が現れたため、様々なお茶が皇帝の献上茶とされてきました。乾隆帝は1753年に龍井を「御茶園(おんちゃえん)」とし、1782年には君山銀針(くんざんぎんしん)を貢茶としたといわれています。
この時代に名茶といわれたお茶は40種類以上に上り、龍井(ろんじん)、碧螺春(ぴろちゅん)、石亭緑(せきていりょく)、敬亭緑雪(けいていりょくせつ)、六安瓜片(ろくあんかへん)、太平猴魁(たいへいこうかい)、信陽毛尖(しんようもうせん)、老竹大方(ろうちくたいほう)、盧山雲霧(ろざんうんむ)、安渓鉄観音(あんけいてっかんのん)、六堡茶(ろっぽちゃ)、屯渓緑茶(とんけいりょくちゃ)、キームン紅茶、恩施玉露(おんしぎょくろ)、鳳凰水仙(ほうおうすいせん)、蒙頂茶(もうちょうちゃ)などが特に有名です。
このように、時代ごとに皇帝が愛で、国中に名前が知られ、書物にも残されたお茶の中で、現代にまで残っているお茶が「歴史的名茶」なのです。