迫力の大盛り中華そば我が青春の大勝軒3月20日火曜日、東池袋の大勝軒が閉店した。45年間この地で行列店として君臨して、そして輩出した弟子の数は100に及ぶと言う。うどんに直接は関係ないが我が、麺歴として少し昔のことなど書いておきたいと思う。そもそも麺好きになった私の原点はこの店の『中華そば』である。それも大盛り(笑)列列列お疲れ様でした2007年3月18日朝6時50分に並んだ。カウントダウンあと3日。推定300人が店を取り囲むように並んで開店前の10時30分に売り切れ閉店した。11時30分注文の大盛りラーメンを食べて大勝軒納めの一杯とした。最初に意識したラーメン思い起こせば初めて美味いと思ったラーメンは、この店の建物の2階で食べさせてもらった30数年前の大勝軒だった。小雨の降る日、店主の山岸一雄さんにナカミチのカセットデッキを届けたことがことの起こりである。山岸さんは熱心なオーディオファンで音楽を聴くのが趣味であった。同じ池袋でオーディオ店を営む私の勤務先の常連さんであった。新製品の高級カセットデッキをお買い上げいただいた。配達して設置が終わると階下からお盆に載せたラーメンを持ってきてくれた。このラーメンが今まで食べたことの無いレベルの美味しさで驚いた。ラーメン屋さんということは知っていたのだが、大学を出て数年で特に食べ物にこだわるような自分ではなかったので『大勝軒』と言う店が有名店というのはこの時は不覚にも知らなかった。 美味しくいただいて階段を下りてきて驚いたのが、雨の中十数人の行列が有ったことだった。 そこではじめてこれは大変な店だと自覚した次第。それからしばらくは車で外回りの時の昼飯は『大勝軒』にお世話になることが多かった。若い食い盛り、ラーメン大盛りを常食した。「食が太くて気持ちいいね」などと山岸さんにはよく言われた。チャーシューが一枚余計に入っているというよりラーメンを頼んでもチャーシューメンが出てきたことが多かった。何となく恥ずかしくチャーシューメンを食べることも多くなると・・・今度は餃子が入ってきたり、餃子をごちそうになってしまったり。あの頃なら大盛りラーメン+餃子でも食べていたかも。ちなみに餃子が入ったラーメンはツブ入りと言って常連さんや知り合いに出す特別な一杯だったような気がする。当時メニューにはなかったと思う。約30年前の話である。大行列店へ私が通い始めた頃は昼時でも15人くらいの行列が常であった。15人居ると並んで食べ終わるまで約1時間で何とか昼休みに食べ終わる。常に行列の数を数えて並んだものだ。だんだん行列が長くなり、短い時に「シメタ!!」と急いで並ぶと無常にも最後列の人が「売り切れですよ」と言う。これが一つのルールだった。この最後の人になるというのも何となく嬉しくて・・・(笑) 「手間をかけさせたね」的な意味も含めてチャーシューのおまけがあったような気がするが定かではない。雪が降ったり、台風が来るという日も行列があった。「こんな日なら混まないだろう」と誰もが考えるせいかいつにも増して行列が多かったような気がする。ラーメンを食べる決死隊の心持だ。(笑)昼休みの時間に食べ終わることが難しくなってからは、自然と足が遠のいて気が付くとずいぶんと長いこと行っていない事に気が付く。自分の休みと大勝軒の定休日が同じだったことも行きにくかったことの一つだろう。 年始の挨拶に行ったり仕事で伺った事もあった。板橋にご自宅を新築されて立派なリスニングルームを作られた時伺ったときには、「お腹が空いたでしょう」と、インスタントの袋麺、確か「中華三昧」だったと思うが、「これおいしいんだよ」と作ってくださったことが忘れられない。「まかないで食べるラーメンも今日は何を食べようかと迷うんだよ」とニコニコおっしゃる。本当に毎日ラーメンを食べていらしたようだ。大盛と普通盛その後奥様を亡くされて廃業を考えられていた時や、体調を崩されて厨房に立つこともままなら無い時もあったが、見事に復活されてこの10年くらいは本当にお元気にされていた。3年前に引退をされるというのでその時も、早朝から並んで最初のロットを食べる列に参加したが、その時は特別メニューというか常連メニューというのだろうか。うず高く盛られた大盛りラーメンを食べた。(笑) 多分もうあの量は食べられないだろう。 『滝野川大勝軒』が出来たり、『麺屋ごとう』も出来て大勝軒の味に飢えなくてもよくなる。自分的には『麺屋ごとう』の開店はまったく革命的であり、日頃のラーメンの欲求はほとんど満たしてくれる。ある意味大勝軒の発展進化という形で自分の舌にはより美味しいラーメンとして定着した。 時々山岸さんに「最近はごとうに行っています」とか「滝野川に行きます」と言うとニコニコしながら「何処でもいいんですよ」とおっしゃる。自分の味を引き継いでいるという自負があるのだろう。一番人気のもりそば私は大勝軒では1度か2度しか『もりそば』を食べていない。またごとうでも1度か2度しか経験値が無い。 山岸さんが生涯をかけて育てた『もりそば=つけめん』は私、個人的にはなじまなかったが『中華そば』は自分のツボにトコトン合ったようだ。 厚切りのモモ肉のチャーシュー。柔らかいメンマ、半切りのゆで卵、のり、ナルト。コクのあるスープと少し柔らかめの中太麺。お店の近く漂う大勝軒の香り。 3月18日日曜日五時間並んで食べた味は麺の茹で加減、スープともに抜群で過去覚えている味のなかでもベストだった。もちろん山岸さんの手によるものではないが非常に満足すべきものだった。 後3日で閉店するその時に食べられたことをラーメンの神様に感謝したい。 たくさんの大勝軒先日食べた経堂大勝軒も美味しかったし七福神も見直した。 全国各地に東池袋出身の弟子達が出店した。ここ数年は特に多くのお店が出来た。大勝軒の味は受け継がれていると思っていいようだ。 また進化発展するラーメン、つけ麺であって欲しい。マスター山岸さん45年間ご苦労様でした。 最後の一杯は大盛り中華そば長い間ご馳走様でした。 ありがとうございました。 納めの一杯完食ラーメンガイド大崎さんの大勝軒の記事山岸大勝軒のサイト※記事内容は執筆時点のものです。最新の内容をご確認ください。※メニューや料金などのデータは、取材時または記事公開時点での内容です。