小学生の時は、95人中94位!
2003年東京荒川市民マラソン初優勝 |
平 沢:運動も駆けっこも全然ダメだったんです。運動会で95人中94位なんていう子どもでした。
ガイド:それがまたどうして。
平 沢:あこがれていた女子生徒がいたんですが、なんとその当人から「ちょっとそこどいてよ、デブ」と言われて、これはショックでしたよ……。小学5年生の時ですよ。
ガイド:子どもとはいえひどいですね……。
平 沢:実際太っていたんですよ。これ、小学校卒業の時に撮影した写真ですけど。
(確かに、現在のほほに縦線が入った顔の輪郭は面影もなく、丸めの卵形の顔)
校内マラソンでいじめ脱却
好きな子に「デブ」と言われてショックを受けた平沢少年は、中学に進むと「これからはスポーツできなきゃダメだよ」の友人の言葉に触発され、自分の運動能力顧みず勇猛果敢にバスケットボール部へ入部。すると次第にカラダも引き締まり駆け足も速くなりました。しかし、依然としてどちらかといえば「いじめられっ子」。それが、ある時期になるといじめられなくなるのです。その理由は……。平 沢:痩せなきゃダメだと。それにはスポーツだ。スポーツで活躍するというよりもスポーツで痩せなきゃと思って入部しました。
ガイド:成果は出ましたか?
平 沢:スポーツをしていたら思いのほか早く痩せられたんです。で、駆け足も速くなって。ただ相変わらずいじめられてたんですけどね、校内マラソンとかで活躍するようになったら、その期間だけいじめがなくなったんですよ。それから、活躍すればこの期間だけでもいじめから抜け出せる、自分の居場所ができると感じて練習に取り組んだっていう感じですね。
このところはガイドも聞いていてちょっと悲しくなりました。駆け足ってもっと楽しいものじゃないのか、走るだけで快適さを得られるものだ、という意識で走ってきた私としては、もっと抜き差しならない理由で走る努力をしなければならないという少年がいるということに。
陸上部を強制退部させられて市民ランナー化?
2003年田沢湖マラソン。ゴール直前まで続いたデッドヒートを制す。「さきがけ新聞」より |
平沢さんは、1年ちょっと入部していたときの知識をもとに、自分なりにアレンジして練習していたそう。しかし校内マラソンでも結果を出せず、陸上競技に対する興味も薄れていきました。そんな平沢さんですが、なんと高校卒業を前にして高校生としては珍しいフルマラソン、それも海外の大会に出場します。
ガイド:日本では高校生の出場を認めないフルマラソン大会も珍しくないというのに、どうしてまたフルマラソンを走ろうと思ったの?
あこがれのマドンナの一言でマラソン決意
2004年東京荒川市民マラソン。前年に続いて2連覇 |
う~ん。愛は人を走らせる、か…。
ガイド:それにしても近所の大会じゃなくてロサンゼルスとは。
平 沢:その時はマラソンを長く続けるつもりはなかったんですよ。どうせなら海外の大会のほうが記念になるなと。ホノルル(12月)も考えたんですけど、ロサンゼルス(3月)のほうが3ヶ月分だけでもカラダが成長するということで……。もうひとつは、高校生らしい気分を味わうために、卒業式前の大会にしようと、それで必然的にロサンゼルスマラソンになったんです。
平沢さんは、いじめられっ子だったとは思えない度胸の良さも持っています。好奇心も人一倍あり、それでいて、自身は慎重派でもあるといいます。彼が持つさまざまな面が、適合するいろいろな場面で引き出されるということかもしれません。初マラソンのレース運びには慎重派の性格をもって臨んだ平沢さんでした。
巧みなペース配分で初マラソン完走
平 沢:前半はゆっくり、後半は前半より7分も早いんですよ。気温が30度ちょっとの快晴で、自分がこれまで走ったマラソンレースの中で一番暑いレースでした。その暑さを考慮して遅く入ったんです。で、35kmからは一段とギアを上げた感じで走りました。若い人、フルマラソンの経験が少ない人にありがちなのは、どうしても前半が速くなり、後半つぶれてしまうパターン。それが初レースから快くゴールできたわけです。暑さを考慮したペース配分など、独学高校生の初マラソンとは思えないほど巧みに走りきったといえるでしょう。
平 沢:ゴールしたときは「ヤッター!」という感じでしたね。
それでもうマラソンとは離れるつもりだった平沢青年がまた、どうしてこんなにマラソンを走るようになったのか?